※本作はniconico「ニコニコ連載小説」内「電撃文庫チャンネル」で掲載された作品の再録です。


【ゼロから始める魔法の書】『魔女と獣の信頼格差』




「雪は君に似ているな、傭兵。白くてふわふわしている」
 霜のおりた窓にへばりつき、ちらつき始めた雪を見ながら、俺の雇い主である魔女がそんな台詞を吐いた。
 白くてふわふわ、ね――確かに、俺は半人半獣の化物だが、俺を表現する言葉としてはあまりにもしっくりこない。
「それにひどく冷たくて、ときには人を殺す。君にそっくりだ。だから我輩、雪が好きだ」
 魔女は悪戯っぽく目を細め、俺の反応を楽しむように振り向いた。
 また、いつもの戯言だ。好きだのなんだのとこそばゆい台詞を吐いて、魔女は俺を慌てさせて楽しむ悪い趣味がある。だが、毎度慌ててやる程俺は純真な男じゃない。
 魔女から視線を逸らし、俺は無反応を貫いた。すると魔女はつまらなそうに唇を尖らせ、また窓の外を見る。
「君が雪に似ているのかもしれないな。ひどく冷たい。だから我輩は君の事が好きなのか……」
 
 ――そんな会話が、昨晩。

 夜が明けると窓の外は一面の銀世界に変わっており、魔女は宿屋から姿を消していた。護衛である俺としては、雇い主が姿を消したら一応探さなければならない。
「お客さんの連れなら、少し前に出て行きましたぜ。雪を見るのは初めてだとか言って」
 宿の店主の言葉に、俺は肩を落として頭を抱えた。
「なんで止めなかったんだよ。一人で行かせたらどう考えても危ねぇだろうが……!」
 俺が低く唸ると、あんまり楽しそうだったもんで、と店主は笑う。
 ああ、そうだろうとも。あの女の笑顔に逆らえる男など、世界広しと言えど俺くらいのもんだろう。俺だって時々危ない。白い髪に、白い肌――まさに、人外の美しさだ。
 不思議な青紫の瞳は全てを見通しているようで、純朴な少女のようでありながら、老獪な老婆を思わせる。そして当然、魔術も使う。――そして、〝魔法〟を。
 〝魔法〟とは、複雑怪奇な儀式を行わなくても、手軽に悪魔の力を行使できるという驚天動地の新技術だ。才能さえあれば数年で習得でき、弓矢が無くても鳥を撃ったり、爆薬無しで巨岩を破壊したりできる。
 正直言えば、便利な技術だ。だが、世界の勢力図を塗り替えかねない危険な技術でもあった。
 それを生み出した大迷惑魔女こそが、つまりは俺の雇い主である。名をゼロと言う。
 溜息を、一つ。
 俺はマントを頭からすっぽり被り、暖かな宿から凍りつく銀世界に出た。

 俺が〝魔女の傭兵″なんていかがわしい仕事を始めたのには、やむにやまれぬ理由がある。
 その魔女――ゼロがとんでもない美女だったからとか、世間知らず過ぎて放っておけなかったとか、そういう適当な理由では断じてない。
 いわんや「寒いから一緒に寝よう」などと真顔で言ってくる女の抱き心地などが、魔女嫌いである俺の心を動かす要因になるわけもない。
 俺は荒くれ者の傭兵で、自分の身が一番かわいい。そしてそんな傭兵が仕事を請け負う理由はただ一つ。
 利害の一致。それだけだ。
 俺は半人半獣の化け物だが、普通の人間として生きたい。
 魔女であるゼロには魔女狩りで殺される危険があって、護衛が必要だ。
 ――そして、ゼロは俺を普通の人間にする事ができ、俺はゼロを守れる。
 そんなわけで、俺とゼロの利害が一致してからいくらかの月日が過ぎ――現在。俺はゼロが残した足跡を追って、雪に埋れた森を難儀しながら歩いている。
 森は恐ろしく静かだった。立ち並ぶ木々も雪に包まれて白く染まっている景色は、絵画的と言えばそうだろう。だが、旅人にとってこの景色は悪夢以外の何物でもなかった。
 腿の半ばまである雪の中を進むのは骨が折れるし、雪が溶けるのを待つってのも気の遠くなる話だ。この真っ白な雪のどこかに、凍死した旅人が何人も埋まっている事を想像するとなおさら気鬱になる。
「ったくあの魔女! 雪が珍しいなら、宿の前で雪山でも作ってろってんだ。それをわざわざ森の奥まで……! そもそも出歩くなら護衛の俺に一言声をかけてけっつうんだよ」
 足跡を追って森を抜けると、開けた場所に出た。凍りついた湖の上に雪が積もり、広大な広場に砂糖を振りかけたような景色が広がっている。
 そのど真ん中に、黒い点が一つ。俺が追いかけていた足跡も、ちょうどそこで途切れている。
 ――割れねぇだろうな。
 分厚い湖の氷でも、俺の体重を支えるとなると大仕事だ。そっと片足で氷の強度を探り、安全そうだと確認してから改めて氷の上に立つ。
 俺は雪を蹴散らしながら、分厚い湖の氷を歩いた。
「おい魔女。護衛も連れずに勝手に出歩くなっていつも言ってんだろうが!」
 説教混じりの文句を吐きながら、雪に埋れて寝転がっているゼロを睨み降ろす。
 反応はない。ゼロはまるで雪原に捨てられた人形か死体のように、ピクリとも動かなかった。その体の表面に、うっすらと雪が積もっている程だ。
 空を見上げると、晴れているのにちらちらと雪が舞っている。このかすかな雪が積もる程、ゼロはこの雪の中で身動き一つしなかったのだ。
 さすがに、少し心配になる。
「おい、魔女? まさか死んでんじゃねぇよな」
 傍らに膝を付く。脈を確認しようと首に触れると、ぞっとする程冷たかった。皮膚に落ちた雪が溶けていないのだから、当然だろう。
「ちょっと待てよ。冗談じゃ――」
 済まねぇぞ、と。慌てた俺をからかうように、ふう、とゼロが細く息を吐いた。
「君の手は温かいな、傭兵。思わず、死の淵からよみがえった――感動で強く抱き締めてくれたら、きっともっと生気が戻るぞ」
 ぱちりと、閉じていた両目が開く。青紫の瞳がついと動いて俺を捕らえ、楽しげに細められると同時に、俺の中に安堵と苛立ちが芽生えた。
「こんな所で死体ごっこか? 魔女様の趣味ってな悪趣味なもんだな。おまえさんからすりゃ、宿からここまで来るなんざ簡単なんだろうが、俺みたいな凡人にとっちゃ一苦労なんだぞ!」
 凡人? とゼロは目を瞬く。確かに俺を凡人と言うには語弊があるが、雪の中を歩くのがしんどいのは同じだ。
「だが、それでも君は来た」
「あん?」
「我輩を探しに。我輩を心配して。どんな状況であれ、絶対に来ると信じられる相手がいるというのは――気分がいいものだな、傭兵。我輩はこの雪の中で、ずっと君を待っていた。いつ君が我輩を見つけ、どうやって我輩を心配して、叱ってくれるのかと」
「あ……の、なぁ……!」
 くすくすと、ゼロは笑った。
 まるで反省していない。どころか、悪びれる様子もない。そもそも、悪気がないのだ。試す気などなかったのだろうが、俺が来るとは思っていた。だが、来る事が当然とは思っていない。
 信頼と、ささやかな甘えか。――それが分かるから、俺もきつくは怒れない。
 ゼロが雪の中からのそりと起き上がると、その体からはらはらと雪が落ちた。
 その一つをそっと指先に乗せて、ゼロは俺を見る。
「不思議だな、傭兵」
「あ?」
「我輩は、雪を見て君のようだと思った。雪は君のように白くて、ふわふわとしているから」
「冷たくて人間を殺すってんだろ?」
 鼻の頭に皺を寄せ、ゼロを睨む。するとゼロは少し困ったように首を傾げた。
「そう思ったのだが……違うな、やはり。雪はいつまでも冷たいが、君は触れると温かい。雪は我輩を殺そうとするが、君は我輩を守ってくれる。つまり我輩は、雪に似ているから君が好きなのではなく、君に似ているから雪の事も好きなのだ」
 いかにも重要な発見をしたような口調で重々しく結論付け、直後にくしゅん、とゼロがくしゃみを落した。鼻水をすすろうとして、ゼロがはっと顔を上げる。
「なんという事だ……鼻水が凍った!」
 恐るべき寒さだ、とゼロが驚愕して目を見開く。――いや、さすがに今更過ぎるだろう。
 非現実的な容姿に反して心底人間臭いその仕草に、呆れると同時にどこか安心して、俺はマントの中にゼロの体を引き込んだ。
 体温の高さには定評がある。おまけに、王城の敷物もうらやむ最上級の毛皮付きだ。
「本格的に凍える前に、宿に引き上げるぞ。雪が溶けたら、すぐに〝魔法による事件〟の調査の再開だ。情報の入った町までまだかなりある。風邪なんぞひいてる暇はねぇからな」
 ん、と。ゼロは眠たげな声を上げると、俺の肩に頭を預けて大きくあくびを零した。
「我輩、芯まで冷え切った。温かいスープが飲みたい。雪は今後、窓から見て楽しもう」
「そうしとけ。雪を楽しむにしても、体を動かす遊びにしとけ」
「汗をかく遊びは大嫌いだ」
 嫌そうに言って、ゼロは決然として目を閉じる。――どうやら俺に運ばせて、自分は寝る気らしい。どうしようもない魔女だが、落としていくわけにもいかないので諦める。
「ところで傭兵。もう少し慎重に歩いた方がいい」
「あ?」
「湖というのは、中心に近づく程氷が薄くなるのだ。ここはほぼ中心だから――」
 みしり、と。俺とゼロの体重で氷が軋んだ。青ざめて足元を見ると、雪の下からピシピシと、背筋が凍りつくような音が聞こえてくる。
「考えたんだが……傭兵よ」
「どうした……魔女さんよ」
「我輩、自分で歩いて帰る」
 言うなり、ゼロはひらりと俺の腕から飛び降りて、たったかと氷の上を駆け出した。
「待ちやがれこの性悪魔女がぁあぁ! 誰のせいでこんな湖のど真ん中に――!」
 くるはめになったと思ってんだと、俺は最後まで叫ぶ事ができなかった。
 一際大きな音が響くなり分厚い氷が盛大に砕けて、俺は氷点下の湖に落下する。
 冷てぇ。冷たさを通り越して、いてぇ。
 死ぬのか、俺は。こんな事で。ああ、それもいいかもしれ――。
「君がここで死んだら、さぞ素敵な氷の彫像ができるだろうな……我輩、ちょっと欲しい」
 ごく、静かな声が聞こえた。凍りついた湖の中でさえ感じる――悪寒。
 俺は死よりも深い恐怖に煽られ、冷水で硬直し始めた筋肉を無理やり動かして氷の上に体を引き上げた。
「傭兵! よかった、無事だったか。このまま君が浮かんでこなかったらどうしようかと思っていたところだ」
「嘘つけぇ! 一瞬ちらっと俺の死を願っただろう! きっちり聞こえてたんだよ!」
「馬鹿を言うな。死を願っていたら、もう一度君を突き落としている。――ただ、死んだらその死体をもらって飾って眺めようと思っただけだ」
 満面の笑みである。だが、目が軽く笑っていない。
「こうして生き延びたからには、我輩君の生存に全力を傾けるぞ。さあ――凍った毛を我輩の炎で乾かしてやろう」
 そう言うなり、ゼロの手に冗談にならない熱量を秘めた炎の塊が出現した。
 いや、魔女さんよ。さすがにそれであぶったら、俺その物がこの世から蒸発してなくなりそうなんだが。
「心配しなくていい。〈炎縛(フラギス)〉は対象のみを選んで焼く魔法。我輩ほどの魔女ならば、君を氷漬けにしている水分のみを蒸発させられるさ――たぶん」
 たぶんか。なるほど。
 ――ゼロの事を信じていないわけではない。この女が俺を殺すわけが無いと理性では分かっているが、俺の中にある獣の本能は危険に対して正直だ。
 灼熱の炎で俺を焼こうとする魔女か、凍り付いた湖か――。
 選択に一瞬の間もかけず、俺は再び湖の中に飛び込んだ。

<おわり>