足音が完全に聞こえなくなったことを確認して、

「誰かいるのか?」

 隣の独房に向かって声をかけてみた。

 すると、

「最低の会話の応酬でしたね」

 冷凍庫で凍らせたようなクールな声が聞こえてきた。女性のものである。つい最近、どこかで聞いたことがある声だった。

「ああ、そうだとも。生徒会長は最低の奴だ」

「あんたも大して変わりませんよ」

「そんなことないだろう」

「自分のことって、主観じゃ分かりませんからね」

「む……」

 冷静な言葉に指摘されて、頭が少し冷えた。

 さっきまで血が逆流した者同士の応戦だったので、急に現実に戻された気がして肌寒かった。

「あなたが皐月純くんなんですか?」

 疑問というよりも確認のための声が響く。

「ああ、そうだ。僕が次期生徒会長だ」

「えらい自信ですね」

「もちろん。なにせキミが教えてくれたことだ」

 僕は、隣の独房にいる少女の正体に気づきそう言った。

「そうなんですか」

 面白い反応を期待したが、実際返ってきたのは実に冷めた感想だった。

 四月一七日の転校生――四一七は、打っても響かない人間のようだ。

「ところでキミはどうしてこんなところにいるんだ? なにか悪いことでもしたのか?」

「転校生身分詐称罪で連行されました。でも、私、皐月純くんとは違って無実です」

「僕だって無実だ!」

「あ、そうなんですか。いきりたって否定しますね。まるで、やましいことがあるみたいです。ところでなんの罪で連行されたんですか?」

「パ――――」

 パンツの盗難罪と答えようとして思いとどまる。

「――――いや、なんでもない。でっち上げられた罪だ。このさいなんでもいいさ」

「ふーん。生徒会長のパンツを盗んだ罪ですか」

「知ってるじゃないか!」

「だって、最初から話聞いてましたし」

「…………」

 四一七はなかなかの曲者だった。しかも、年上の僕に向かって敬意が感じられない。

 そんな態度だから、五十嵐センパイの怒りをモロに買ってしまったのだろう。体育館の壇上でもそんな感じだった。自業自得と言えよう。

 僕が口を閉ざしたことにより、沈黙が流れた。

 隣の独房から追撃の台詞はやってこない。

 四一七は、自分から率先して喋るタイプではないようだ。

 しばらく無言が続いた。

 時計がないので正確な時刻は分からない。

 けど、腹の虫の鳴き具合で、昼前であることは想像できた。

「お腹へったな……昼飯って貰えるのかな?」

 僕が呟くように疑問を漏らすと、

「さあ、知りませんよ」

 四一七の冷たい声が返ってくる。

 台詞は相変わらず素っ気ない。

 だけど、言葉を返してくれるあたり、四一七も寂しいのかも知れない。そう考えたら、少しだけ彼女のことが可愛らしく思えてきた。

 ひとりで思考を繰り返すのも飽きていたので、僕は考えていることをそのまま口に出してみる。

「っていうか、そろそろ助けが来てもいい頃合いなんだけどなぁ……」

「アテはあるんですか?」

「明確なアテはない」

「そうなんですか」

「しかし、まったく問題ない。だって僕は生徒会長になるんだ。運命が味方してくれる。必ずここからも出られるさ」

「ポジティブですね」

 と言った四一七の口調には含みがあった。明らかに人をバカにしている。

「投げやりだなキミは」

 対抗するように僕も彼女に指摘した。

「まぁ、皐月純くんの主張には、論理性を感じられないので」

「おいおい、運命を前に論理性を重視するのか?」

 と僕は笑う。

 そして、すぐに自分の発言に疑いが生じた。

「…………」

 ちょっとだけ思案に入る。事実確認をしよう。

 運命は人の形をしていない。大原則である。

 こっそりと風紀委員会に忍び込んで、独房を開けることは人間にしかできない。

 運命は僕の味方である。これも大原則である。

 だが、友人は僕の味方であるのだろうか?

 僕の脳裏には、救いの手を求めても差し伸べてくれなかった親友の姿が思い浮かんだ。あいつは許さん。

 しかし、聡士を除いて誰が助けに来てくれるのか?

 そもそも冷静に考えてみると、聡士以外に胸を張って友達といえる人物に心当たりがない。すっかり忘れていた。

「あれ…………もしかして、生徒会長の提案を受けたほうがよかったかな?」

 僕は愕然とした。

「脆い自信でしたね」

「ほっとけ…………」

 僕は頭を抱える。

 心の中に浮かんだ黒染みのような疑念は、水槽に落とした黒インクのように広がった。疑念はやがて疑惑を招き、疑惑は根拠のない確信を生んだ。

 確信が絶望に変わり始めようとしていたとき。

 遠くで扉の開く音がする。

 足音が聞こえ、ゆっくりとこちらの方へ近づいてきた。

 校則違反の学生服に身を包んだ風紀委員らしき男が現れる。

「――昼食だ。ほら、さっさと食べろ」

 そう言いつつも、風紀委員はなにも食べられそうなものは持っていなかった。五十嵐センパイの差し向けた嫌がらせだろうか。

 しかし、問題の風紀委員は、昼食の代わりに分厚い鍵束を手にして、

「ほら、いくぞ」

 がちゃりと独房の施錠を解き、扉を開いた。

「え?」

 僕は驚いて、顔を上げ、風紀委員をよくよく観察する。

 親友の聡士が風紀委員の恰好をしてそこにいた。

「聡士!」

「アホ。声がでかい」

「す、すまん。しかし、どうしてここに?」

 嬉しさ半分、驚き半分でそう訊ねると、

「友を助けるのに理由はいるのか?」

 聡士はさも当たり前と言わんばかりの口調でかっこよく述べた。

「聡士!」

 僕は感動して、落涙して、生涯の友になるだろう人に抱きついた。

 持つべきものは一〇〇万の友よりも一人の親友である。

 ふたりはしばし熱い抱擁を交わし、ふと冷静になり、気色悪さを感じて離れた。

「よし、それじゃ逃げるぞ、純」

「ちょっと待って」

 先に行こうとする聡士を、僕は呼び止める。

「どうした。悠長に構えてる時間はないぞ?」

「彼女も助けよう。なにせ可愛い」

 そう言って、隣の閉ざされた独房を見やる。その中には大人しく女の子座りをしている四一七の姿があった。

「……いえ、私のことは気にしなくてもいいですよ」

 投獄されたというのに、随分と落ち着いているご様子だった。しかし、五十嵐センパイの横暴によって囚われた少女を放っておくわけにはいかない。

「この機会を逃したら、いつ釈放されるか分からんぞ。さあ、一緒に行こう」

「足手まといになると思いますよ、私」

 四一七は、謙遜ではなく本当にそう考えて言っているようだった。

 自己評価が随分低いようである。ちょっと心配だ。とりあえず、五十嵐センパイの魔手から救い出してあげたい。

「ふむ。転校生も囚われていたのか――確かに転校生は一人でも多く確保しておくべきだな」

 戻って来た聡士が、四一七の存在に気づいて、こっちも冷静な判断を下す。

 転校生には秘められた力が内包されており、それは「運命力」と呼ばれている。運命力は運命に干渉できる力であり、様々な器機の動力源にもなり得る万能エネルギーである。これは運命力学に則ったことであり、疑念の余地はない。

 よって、我が校において転校生は抗争には欠かせない。

 そういう戦略的な意味を含めて、聡士は四一七を連れて行くことにしたのだろう。

 聡士は鍵束からひとつの鍵を選び出し、四一七の独房を解錠した。

 鉄格子の扉が軋みをあげて開く。

 僕は体半分だけ独房の中に入ると、未だ座ったままの四一七に手を差しだした。

「さあ、早く」

「…………では、お言葉に甘えます」

 四一七は僕の手を無視して立ち上がった。お尻を叩いて埃を払う。

「さあ、僕の手を握って」

 僕は諦めなかった。

 すると、四一七は顔色ひとつ変えず、

「人のパンツを欲しがるような人は――ちょっと無理です」

 辛辣かつ適切な意見を提示される。

 それを言われては反論できない。あまり好感度が高くないようだ。ちょっとだけショックだった。脈ありだと思っていたのに。

「おい純。どんなセクハラをしたんだ?」

「誤解だ。それよりも急ごう」

 訝しむ親友の疑念が深まらないうちに、僕は早急に話題を変え、踵を返した。

 後ろから四一七は静かについてくる。

 薄暗い地下室から脱出。

 階段を登り、重たい鉄格子の扉をくぐる。

 その先には、見張りの詰め所があり、しかし、今は誰もいなかった。

 僕が疑問を口にするよりも先に、聡士が説明する。

「友人に協力して貰ったんだ」

「なるほど。僕の友は聡士だけだが、聡士の友は沢山いるんだな!」

 言っていて悲しくなってきた。

 聡士は、僕の肩に優しく手を乗せ、それには触れずに続きを話す。

「皆には外で騒ぎを起こして貰っている。俺と数人はその隙にここに乗り込んで、邪魔者を排除したんだ」

「僕のためにそこまでしてくれたのか!」

「ああ、もちろんだとも」

 親友は爽やかな笑みを浮かべて親指を立てた。

 相変わらず格好いいメガネだ。

 しかしと、聡士は続ける。

「騒ぎが大きくなりすぎた。風紀委員会では手に負えず、治安維持部が出動したようだ。何人か捕まって投獄されるかもしれない」

「僕はみんなの犠牲の上に立ってるんだな……」

「うむ、そうだな――――だが悲観することはない。純が生徒会長になれば彼らの犠牲も無駄にはならない」

「うん。みんなには相応の地位を約束しよう」

 僕のために戦ってくれる皆の期待に応えるべく、僕たちは急いで風紀委員会の建物を出た。


          ◇


 その後、周囲に気を遣いつつ『田中食堂』を訪れた僕たちは、そこで少し遅い昼食を摂る。

 白滝学園の在校生は約六〇〇〇人。それに教師を合わせると六五〇〇人もの人間がこの土地で暮らしている。必然と生活に必要な施設はひとつでは事足りず、白滝学園の広大な敷地には飲食店、雑貨屋などの店舗がいくつも存在している。

 田中食堂は学校に一〇カ所ある食堂の中で一番不味く、人が寄りつかない。表道を歩けない生徒が密会するには最適の場所である。

「とりあえず身を隠す場所を用意した」

 不味いラーメンを食べながら、聡士は薄汚れた鍵を僕に渡す。

「ありがとう。それで、これはどこの鍵?」

 不味いオムライスを食べながら、僕は有り難く鍵を受け取った。

「第三体育館倉庫だ」

 第三体育館といえば、剣道部や柔道部などの武道系の部が使っている。部活動専用の体育館だ。そこの倉庫ならば、少なくとも放課後までは誰にも見つかることはないだろう。

 僕と聡士が、第三体育館までの安全なルートについて議論していると、

「あの」

 不味いカルボナーラを食べていた四一七が言葉を挟む。

 転校初日からこんなものを食べさせられて怒り心頭なのだろうかと思ったが、

「この度はありがとうございました」

 四一七は殊勝にもそうやって礼を述べた。

「なに、気にすることないさ」

 僕は気さくに言った。

「それじゃ私は、これで失礼します」

 四一七は僕の方なんて見もしないで席を立った。

「待つのだ転校生よ」

 去ろうとする四一七を聡士が呼び止める。

 四一七は動くのを止め、聡士を見た。僕が言っても聞いてもらえなかっただろうなと、薄々感じて鬱になった。

「なんですか?」

「君も隠れるべきだ。いま生徒会長に見つかったらなにをされるか分かったものではないぞ?」

 聡士はメガネを中指で持ち上げる。レンズがきらりと知的に光った。

「と、言われましても」

「なに、放課後まで純と一緒にいてくれれば、それまでにちゃんとした場所を探しておく。放課後までの辛抱だよ」

 その言い方だと、まるで四一七が僕と一緒に過ごすことを嫌っているみたいではないか。

 抗議の声をあげようとしたが、そのまえに、

「放課後までなら…………」

 と、四一七は遠回しに僕を傷つけながら了承した。


          ◇


 第三体育館倉庫の中は、予想通り薄暗く、じめじめして臭かった。剣道部の防具やら、柔道部の畳がしまってあるせいだろう。正直、独房の方が快適だった。

 しかし、まぁ、親友が僕たちのために用意してくれた場所である。文句なんていうものじゃない。独房に残っていたら今頃、風紀委員の尋問に晒されていたかもしれないのだ。

 放課後まであと二時間くらい。

 暇を持て余した僕は、倉庫の隅っこでウンともスンとも言わない四一七のもとへ擦り寄った。

「やあ、この臭いは馴れないね」

 適当に話を振ると、体育座りをして自分の膝に顔を埋めていた四一七は、そのままの姿勢で、

「本当です。あまりの臭さに鼻がよじれそうです。皐月純くん臭いんで息をしないでください」

 と、あまりにも酷い暴言を吐いてくる。

 僕のガラスのように脆い心は、粉々に砕け散りそうになった。可愛い女の子にそんな台詞を吐かれては、ピュアな男子諸君であれば割腹自殺を図ってしまうだろう。手元に刃物がなくてよかったと、心から安堵した。

 だけど、これ以上彼女に話しかける勇気は根こそぎ消え去り、僕はもとの位置へ帰ろうとすると、

「あ、傷つきましたか?」

 四一七は当たり前のことを訊いてきた。

「もちろん。死のうかと思ったよ」

 僕は胸の内を告白した。

 すると、四一七は顔を上げ、小動物的愛らしさをもった可愛い尊顔をこちらに向けてくる。

「すみません。ほっとすると口がいつも以上に滑るんです。ただの暴言ですから気にしないでください」

「無茶な相談だな。こう見えて僕の心はか弱いんだ」

「ノーテンキな見た目なのに意外ですね」

「ほら、そうやってキミは僕を傷つける」

「失礼しました。もう少し心を強く持ってください皐月純くん」

 四一七は眉ひとつ動かさず、代わりに毒を含んだ舌だけを軽快に動かした。

 反省の色はない。

 むしろ、声音だけを聞けば楽しんでいるようにも聞こえる。

 まぁ、こんな薄暗くて臭い空間の中で、楽しいならそれに越したことはない。

 僕は年上の寛大さを発揮して、可愛い後輩の可愛い顔に免じて無礼を許した。未来の生徒会長様は懐が深いのである――――そうでも思わないとやってられない。

 今の話題を続けると心が挫けてしまいそうなので、僕は無理やり話を変える。

「ところでさ、キミのことシイナって呼んでもいいかな?」

「唐突ですね。まぁ、いいですけど」

「あ、いいんだ」

 あっさり承諾された。てっきり嫌がられるかと思ったのに。

「転校生の名前って呼びにくいですからね。他の転校生の話では、転校して一週間もすると、クラスメイトには愛称で呼ばれるらしいので」

「そっか。うん、よかったよかった。じゃあ、シイナで異論はないんだね?」

「はい。なんの捻りもない語呂合わせですよね? 分かりやすくていいじゃないですか」

「……ほっとけ」

 随分素直だと思ったら、やっぱり嫌みが飛んできた。

 四一七もといシイナ。彼女は果たしてクラスに溶け込むことができるのか心配になった。

「ところで話を変えたいと思います。いいでしょうか純くん」

 今度はシイナの方から話題提供してきた。地下牢から今までの間で初めてだと思う。僕はちょっとだけ嬉しくなった。

「なになに? どんどん話してよ」

 期待を込めて先を促す。

「転校生って多いに越したことはないんですか?」

「えっと?」

「地下牢で北上さんが言ってました」

「ああ、そうだったね。聡士の言い方は冷たかった。気にすることはないよ」

「いえ、そこら辺は気にしてないです。それよりも意味が分からなくて」

 そう言ったシイナの顔は大真面目。冗談を言っているようには見えない。彼女は自分の価値を認識していないようだった。

「なにを言ってるんだよ。キミは転校生じゃないか。転校生は運命力を持ってるんだろ?」

「ええ。なんか、そんな力があるとは聞かされてます。純くん達にはないんですか?」

「もちろんないよ」

「どうしてですか? 同じ人間なのに?」

「ふむ、言われてみればどうしてだろうね?」

「こっちが聞きたいです」

「でも、転校生がなんかよく分からんけどすごいのは常識なんだけどな」

「ふんわりした認識ですね」

「仕方ないよ。常識だからさ」

「常識ですか……」

 シイナは神妙に考え込んでしまう。

 当たり前の常識が抜けている転校生。果たして全ての転校生がこんな感じなのだろうか。

 いままで転校生と同じクラスになったことがないし、部活もやってないのでクラスメイト以外と関わる機会は皆無だった。よって、そこら辺のところはよく分からない。

「まあ、でもさ。分からなくてもここで生活していたら、そのうち分かるよ。なんでも僕に聞いてくれていい」

 ちょっとしょんぼり気味のシイナに優しく声をかける。

 すると、シイナは肩を竦めて言う。

「ありがとうございます。純くんに訊いてもアテにならないでしょうけど」

「なんで余計な一言を付けるかなぁ」

「すみません。性分なんです――それはともかく、外がにわかに騒がしくなったと思いませんか?」

「え?」

「ほら、耳をすませてください」

 シイナは手を耳元に当てて、外の音に耳をすませる。

 僕も言われた通りに息を殺して、聴覚を倉庫の外に集中させた。

「――――微かに話し声が聞こえてくる」

 シイナの言ったとおり、第三者の気配があった。

 内容までは聞き取れないが、複数の人間が言葉を交わす音がする。

「純くんの唯一の友達さんと、純くんの唯一の友達さんの友達さんでしょうか?」

「引っくるめて僕の友達でいいだろ」

「それは事実に反します」

 独房での僕と五十嵐センパイの会話を、優秀な記憶力で覚えているシイナ。だが、自分の能力の使いどころを激しく間違えているといえよう。

 それはともかく、僕は傷つきながらも冷静に考える。

「……まだ放課後まで時間がある。聡士がくるには早すぎる」

「でしたら生徒会の手先でしょうか?」

「うーん…………」

 シイナのいうとおりその可能性がもっとも高い。

 僕たちが脱獄したことは、五十嵐センパイもすでに知っているだろう。そうなれば、あの権力の虜のことだ。血眼になって僕のことを捜しているはず。ここが生徒会に包囲されていてもなんら不思議じゃない。

「…………ちょっと様子を見てくる。シイナは奥に隠れててくれ」

「いえ、私が見てきますよ。純くんは生徒会長になる予定なんですから、ここで捕まっちゃいけないんでしょ?」

「だとしても可愛い女の子を危険に晒すわけにはいかんのだ」

 僕は親指を立て、かっこよく言ってみた。

「はぁ、そうなんですか」

 だが、シイナの反応は薄かった。感銘を受けているようにはみえない。

 自分ひとりが意気込んでいて滑稽に見えた。

 僕はごほんと咳払いをする。そして、今考えた理屈を並べてお茶を濁す。

「なに。僕はシイナのくれた予言を信じてる。だから、これからどんなことが起こっても、僕は必ず生徒会長になることができるのさ。言わば、僕の身の安全は四月末まで保障されているんだよ」

「…………ですか。まぁ、どんな拷問を受けようとも、生きてさえいればなんとかなるものですからね」

「怖いこというなよ」

「では、よろしくお願いします。私、隠れてますから」

 ぺこりとお辞儀をして、シイナは予告通り、倉庫の奥へと姿を隠した。

 やっぱり見に行ってくれないかなと、言える雰囲気ではない。

「……よし、いくぞ」

 僕は意を決した。自分の背中には守るべきものがあると、思い込むことにする。

 倉庫の内側から掛けていた鍵を解錠して、扉を一センチくらい開く。眩しさに目を細め、隙間から外の様子を覗いたと同時に、突然、指が隙間に差し込まれた。倉庫の扉が一気に開け放たれる。

「ひっ――」

 僕は腰を抜かして尻餅をついた。

 外には白い装束を纏った正体不明の連中が群がっていた。一クラスぶんほどの人数がいるだろう。

「ひ、人違いだっ。僕は皐月純じゃない!」

 あとずさりながら喚いていると、

「ご安心くださいませ、運命に導かれし殿方よ」

 白い群集が真ん中から二つに割れ、その中央から一人の少女が姿を現した。

 少女は白いベールを被り、神仏に仕える神官のような出で立ちだった。ふわふわっとした長い髪とグラビアアイドルのような体付きは、どことなく柔らかい印象を感じさせる。そこには敬虔なイヤらしさがあった。

「どうかお立ちください」

 少女は清水のごとく柔らかな音色で言った。白く透き通った手を、こちらに差し出してくる。

「…………あ、ありがとう」

 しばらく迷った末、僕は少女の手を取って立ち上がった。

 それから間を置かずして、初めに訊かなければならないことを訊く。

「キミたちは何者なんだ?」

「我らは〈運命に従う会〉です」

「……運命に従うかい?」

「運命に従う・会です。転校生の予言を尊重し、それに抗うことを悪とする、運命力学をこよなく敬愛する、運命にこの身を捧げることを誓った人々の集まりです」

 少女は迷いなく言った。

「……なるほど」

 妙な連中が現れた。話しぶりと格好から察するに、運命力学を崇拝するカルト集団であるようだ。

 運命力学は未来予知を実現した学問であり、それ故、単なる学問と考えず信仰の対象とする人間も少なからずいる。この学園にもそういった人間の集まりはいくつかあった。転校生と廊下ですれ違うたび跪いてお辞儀したり、月曜日の集会の前に校庭で円陣を組んで降臨の儀式を行ったり、彼らの奇行は枚挙にいとまがない。

 きっと彼女達もそういう団体の一つなのだろう。けれど生徒会の手先ではなさそうなので、ひとまず安心する。

「わたしは〈運命に従う会〉の総帥、大郷苺です。気安く苺ちゃんと呼んでください」

「うん、分かったよ苺ちゃん」

「ありがたき幸せでございます」

 苺は、深い信仰心からくるであろう安らかな微笑みを浮かべた。そのうっとりとした瞳には、男心をくすぐられる魅力があるが、目の焦点が合っていない。

 苺も、その後ろに控える会員たちも、一様に世界の終末を見据えているような目をしていた。

 関わってはいけないオーラがびんびんと放たれている〈運命に従う会〉。

 しかし今は退路がない。僕は覚悟を決めて、苺とのコミュニケーションを図る。

「それで、僕になにか用なのか? っていうか、どうしてここが?」

 立て続けの質問にも苺は嫌な表情ひとつ見せない。むしろ至福を得ているように破顔して、おもむろに話を切り出してくる。

「運命に逆らうことはとても愚かなことです」

 哲学的というよりは盲信的なニュアンスを含んだ話の切り口。

 僕は寒気を感じつつも、話の続きを促した。

 苺は朗々と語る。

「かつて、運命力学が確立されなかったころ。我々の生は、とても不安定なものでした。つねに暗闇の中を模索しながら拙い足どりで進んでいたものです。世界の行く末が分からないことに恐怖した我々は、ときに他者を傷つけました。ときに自己の生を捨ててしまいました。ときに公共性を忘れました。ときにソシャゲーで重課金をしてしまいました。しかし、そんな時代はすでに終わりを迎えたのです。なぜならば、我々には転校生の予言があり、もうなにも迷う必要がないのです。暗闇に光が差しました。我々は運命を受け入れることで、心の平穏をえるべきなのです」

「なるほど、そういうわけか!」

 僕は手を叩いて分かったふりをした。ここで否定すれば、なにをされるか分かったものではない。空気を読むことは自分の生命を守る上でもっとも大切だと思った。

「せんえつながら、風紀委員会の折より、あなた様の後を尾けさせて頂きました。我々の目的は明快です。運命の申し子である皐月さまに、おのが運命を全うしてもらうこと」

「つまり、僕が生徒会長になるのを手助けしてくれると?」

「はい、その通りです。お邪魔でなければ、皐月さまのお力になりたく、我々は参上いたしました」

 そう述べた苺は、腰を落とし、膝をつき、僕のことを仰ぎ見た。

 苺に呼応するように、後ろで控えていた白い群集も、苺と同じ姿勢になる。

 すべてを委ねますといわんばかりに、羨望と敬愛の眼差しが僕に集まった。

 なんだかよく分からんが気分はとてもいい。新世界の神になったようだ。

「邪魔だなんてとんでもない。是非とも苺ちゃんたちに協力してもらいたいよ」

 僕は決断した。

 苺たちの瞳が虚ろなのが気になるが、えり好みをしている時ではない。そこらへんは黙って目を瞑ろう。味方は多いに越したことはない。おっぱい大きいし頼んだら触らせてくれるかもしれない。

「ありがたき幸せでございます」

 〈運命に従う会〉の皆々は、誇らしそうに返事をした。

 安全が確認されたと判断して、僕は後ろを振り返って声をかける。

「シイナ。大丈夫だ。出ておいで」

「……あ、どうも」

 倉庫の奥から幽霊のようにシイナの姿が浮かび上がった。遠慮がちな足どりで外へやってくる。

「これは天使さま!」

 〈運命に従う会〉の皆々は、シイナのことに気づくなり、より一層頭を低くした。

「天使ってなんのことですか?」

 シイナは仰々しい群集をまえに、少し引き気味である。まあ、無理もない。

 彼女の問いを丁重に受け取った苺は、うやうやしく説明する。

「転校生とは、我々に予言をお伝えくださる使者。すなわち天使でございます」

「いえ、私、人間ですけど……」

 謎理論にシイナは困惑した。

 それでも苺は言葉を続ける。

「なにをおっしゃいますか。天使さまの体内には、運命力が溢れているのです。下々の民は、天使さまの愛情を受けて、運命を切り開く力を得るのです。これぞ天使の施し!」

 苺は両手を挙げて宙を仰ぐ。後ろに控える者達も、操り人形のように同様のポーズをとった。

 〈運命に従う会〉の皆々は、シイナに向けて自作っぽい賛歌を歌い出す。

 かなり音痴だった。

「っ……」

 あまりのおどろおどろしさに、シイナは僕の後ろに隠れてしまった。

 僕たちの心情を知りもしない苺は、賛歌を歌い終わると満足そうに微笑み、続いて僕のことをうっとりと見つめてくる。

「そして、天使さまと対をなす人よ。予言に記されし者こそ、世界を導く旗印なり」

「それって僕のこと?」

「はいもちろんです。皐月さまこそ人民の敬愛すべき象徴!」

 これまで浴びたことのない称賛に、僕の気持ちは高ぶっていく。

「なるほどなるほど、もっと言ってくれ」

「荒廃する大地に差し込んだ希望の光!」

「ふむふむ」

「汚れた世界を浄化する聖なる騎士!」

「ほうほう」

「人々が待ち焦がれた救世主!」

「そうだ! 僕は救世主なんだ!」

「調子に乗らないでください」

 腰に手を当てて胸を張る僕を、シイナは静かにたしなめた。

「さあ、ここから移動いたしましょう。生徒会に見つからないうちに」

 話が纏まると、さっそく苺は進言してきた。

 けれど、僕にはまだここを動けない理由がある。

「いや、まて。ここで友人と待ち合わせしてるんだ。友人を待たないといけない」

「ご友人とは北上聡士のことでございましょうか?」

「うん、よく知ってるね」

「北上聡士はもうここには来ません」

 さらっと苺は重大なことを言ってのけた。

「なっ、どうしてなんだ?」

「彼は生徒会に連行されました。皐月さまを逃がしたことがバレてしまったようです」

「ヘマをしたのかあいつは……」

 ああ、無二の親友、聡士よ。キミは僕のためにそんな目にあっているのか。ここは友人としてなんとかしなければならない。

「よし、聡士を助けよう」

 拳を握って強く宣言すると、苺はいいにくそうに、

「皐月さま……それはリスクが高いと思われます」

「どうしてなんだ?」

「北上聡士は、生徒会公務執行妨害ならびにクーデター首謀罪でA級犯罪者として拘束されています」

「僕よりすごい罪で捕まってるな、おい」

 こっちなんかパンツ盗んだ罪だぞ。それも冤罪。ぜんぜん格好がつかない。

「北上聡士が囚われているのは、不落の要塞監獄――ビッグ・ヘルです」

「まさか、あいつがあんなところに……」

 学校のもっとも厳重な場所であるとされる謎の生徒指導室。それがビッグ・ヘルである。

「ビッグ・ヘルに入ったが最後。生徒会長の指示がない限り、在学中は日のめをみることは叶いません。ここは、皐月さまが生徒会長になられるまで待つべきかと」

「なるほど……」

 僕が生徒会長の座につけば、権限で聡士を解放できる。それが一番確実な方法だ。

「皐月さま。いまは辛抱のときです」

「……確かに苺ちゃんのいう通りだ。けど――」

 と僕は言葉を濁す。

 本当にそれでいいのかと考えてしまうのだ。

 あと二週間以内に僕が生徒会長になれるのは決定された運命である。だけど、それまで聡士は、鬼の指導教員による地獄の生徒指導を受けなければならないのだ。

 自分を助けるため犠牲になってくれた友人に、そんな仕打ちを与えてもいいのだろうか。

「意外ですね。純くんは友達のことなんて見捨てる人だと思ってました」

 僕が渋っていると、シイナはきょとんとした顔をしていった。

 その小ぶりな口から出る言葉は、相変わらず辛辣である。

「バカにするな」

 と、僕は真剣な眼差しでシイナを見つめた。それから朗々と語りあげる。

「確かに聡士のために危険を冒すことは得策じゃないかもしれない。あいつは女の子にモテるし、僕より背が高いし、成績もいい。正直、妬ましいよ。このまま一生、捕まってしまえばいいとさえ思う………………だけどさ。聡士は僕の唯一の友達なんだよ。ここであいつを見捨てるようなことがあれば、僕は聡士の友人ではいられなくなるんだ。そうなったら僕は、誰一人友達のいない哀れな奴になってしまう。それだけはどうしても避けたいんだよ!」

「けっきょく自分のためなんですね」

「ステキです皐月さま!」

 シイナは呆れ、苺は手を合わせて特に理由もなく称賛してくれた。

 〈運命に従う会〉の皆々は、天使と救世主に対しては、理屈抜きで全面肯定してくれるようだ。

 苺は手を合わせ、目をきらきらさせながら言う。

「分かりました皐月さま。我々も北上聡士救出の手助けをさせていただきます」

「ありがとう!」

「しかし、そのためには準備が必要です。まずは戦力を整えなければなりません。それまでは我慢の時です」

 苺の助言に納得した僕は、〈運命に従う会〉に連れられて、体育館倉庫をあとにした。