僕は断崖絶壁に立たされた。

 行く手には、五十嵐優美という名の巨大な壁。退路は社会的な死が待っている。

 ああ、これが運命という残酷な試練。

 足の震えが止まらない。

 口の中がからからに乾いている。

 鼓動が高鳴る。

 逃げ出してしまいたい。

 自分の部屋に帰って、布団の中に潜って、なにもしらないふりをして生きていたい。

「……だけど……それじゃ、ダメなんだよ」

 僕はひっそりと呟いた。

 一番近くにいるシイナが首を傾げた。

 僕は声量を大きくして言う。

「運命の試練に立ち向かわなくちゃいけないんだ!」

「…………」

 皆が反応に困っているのが分かった。

 それでも、僕はこの想いを皆に伝えなくてはいけない。

「僕はたしかに運命に選ばれたさ。どんな形であれ、生徒会長になることができるだろう――――けどね、それはほんの些細な一つの決定された未来に過ぎないんだよ。決められた運命に行き着く道は無数に伸びてる。僕たちはただ黙って運命を待っているだけじゃ駄目なんだ。それは運命に呑み込まれているのと同じ。決まっているものからは逃げられないかもしれないけど、運命に行き着くまでにどの道を通るのか? それを選択することが自分自身と、そして自分の運命と戦うことだと思うんだ。人の価値は、運命という終点で決まるんじゃない。運命に行き着くまでの過程で決まるんだ!」

 僕は再起を果たし、もういちど席を立った。手を固く握り、拳を前に突き出す。

「みんな――僕に力を貸してくれ!」

「はい、よろこんで!」

 と、真っ先に同調してくれたのはソフトボール部長だけだった。僕の拳に、自分の拳を合わせる。

 その後、決して短くない沈黙が流れたのち、

「ま、理由はなんであれ、決戦は避けられないッス。あたしらは義のため、戦うッスよ」

 と、ミミが立ちあがり、拳を突き出して、僕の拳に合わせ、

「我々はただ運命に従うのみです」

 苺も手を伸ばした。

 そして、最後の一人は、

「あれ、私もやったほうがいいんですか?」

 とすっとぼけたようなことを涼しい顔で言ったのち、やれやれと席を立って、手を伸ばした。

 これで皆の拳がそろった。

 ただならぬ連帯感が生まれる。

 僕はぐるっと一同を見渡し、

「やるぞみんな! 僕たちは運命を全うして、運命に打ち勝つんだ!」

「「「おーっ」」」

 僕のエロ本をかけて、全校を巻き込んだ大戦が始まろうとしていた。

 マジで生涯の恥である。


          ◇


 二日目の日曜に、現生徒会と皐月純一派による戦いが起きる。

 そんな噂が校内を飛び交った。

 むろん、その噂を流したのは僕である。

 なぜ五十嵐センパイが、僕に三日の猶予を与えたのか?

 それは、彼女の求心力が急速に落ちているためと考えられる。

 四月頭の時点の五十嵐センパイならば、一〇〇人規模で立て籠もる反乱組織とて、その倍以上の兵力をぶつけて瞬く間に鎮圧してしまっただろう。

 しかし、いまはそれができない。これから訪れるだろう学校の混乱に対応するため、各部は求心力が低下した五十嵐センパイのために戦力提供することをためらっているようだった。現在のところ、多くの部が表面上は生徒会支持に回っているが、腹の内ではそのように考えていない。

 だから五十嵐センパイは、各部を説得して、僕たちを潰す戦力を整えるのに、二日の時間が必要だと判断したのだろう。

 これは僕たちにとって好都合である。

 転校生の予言という裏付けを振りかざし、更なる戦力の拡大を図る絶好の機会だ。

 翌日の土曜日。

 僕たちの拠点――風紀委員学生寮は、てんてこ舞いの大忙しであった。

 開戦の準備である。

 寮を囲むバリケードは一昨日よりも広い範囲に設置され、バリケードと寮の間には野営テントがところ狭しと並んでいる。テントとテントの間には、桜ノ治安維持部が所有する突撃戦車まで持ち込まれていた。

 現在ここには多くの人間が集まりつつある。

 五十嵐センパイの悪政に耐えかねた部活が、次々と僕への支持を表明していた。

「いい眺めだな」

 慌ただしい地上のようすを、寮の屋上から見下ろしていた僕は、ある種の感慨をえた。

「まさかこの僕のために、ここまでの人々が集まろうとは……」

「いえ、べつに純くんのためじゃないですから」

 せっかくの悦を粉砕する冷たい声。

 いつのまにかシイナが僕の隣に立っていた。

「純くん。報告です。新たに、茶道部と情報処理同好会が支持を表明しました」

「うん、そうか――――その部活って戦闘部員いるの?」

「はい。茶道部はビーム薙刀を持参してやってきました。情報処理同好会も大きな銃を持ってましたよ。ただし、自前の転校生がいないので、運命力の補充が必要だとのことです」

「わかった。ミミに頼んで桜ノの転校生に補充をしてもらおう」

 この学校で使われる武器は、運命力を絶望に換える変換装置である。

 突撃ライフルは、マガジンに補充された運命力を、絶望という名の弾丸に換えて、それを撃ち出す。弾丸を食らった者は、深い絶望に襲われて悶絶。三日ほど昏睡してしまうのだ。

 技術の応用として、絶望を濃縮ビーム還元した近接兵器もいくらか存在する。それらの武器のエネルギーは運命力ただひとつ。

 そして、運命力を補充できるのは転校生のみ。

 よって、より多くの転校生が味方であることに越したことはないのだ。

「純くん。色々と謎なんですけど」

「なにが?」

「運命力という謎の力についてです」

「詳しいことは僕に聞かないでくれ。運命に干渉できるスーパーパワーだとかなんとか……」

 詳しくは図書室にある運命力学の学術書を読んでもらいたいものだ。

「役に立ちませんね。ですけど、その運命力は転校生しかもってなくて、運命力は武器のエネルギーにもなり得ると……本当に謎です。自分のことなのに」

 改めて詳しい説明を聞かれればたしかに謎が並んでいる。

 しかし、僕たちが日常で使っている機械だって詳しい仕組みは知らない。謎のバーゲンセールなのだ。気にしなくても生きてはいけるさ。

「あの、私も運命力補充にまわりましょうか?」

「いや、いいよ」

 シイナの申し出を、僕はやんわりと断った。

「シイナには色々と働いてもらってるからね。今日は早めに休んでほしい」

「はぁ、そうなんですか」

 何気ない優しさを表したのに、シイナは全然食いついてこなかった。どうでも良さそうである。

 まあ、そんなシイナのつかみ所のない性格にも、この六日間の共同生活でだいぶ馴れた。むしろ可愛くさえも思えてくる。

「シイナ」

 僕は彼女の名前を口の中で転がすように呟いた。

 屋上は二人っきりで、風もなく静かだったので、その声はシイナの耳まで届く。

「なんですか?」

 僕は隣の彼女に、熱い視線を向けた。

「この戦いが終わったら結婚しよう」

「嫌ですよ」

「ですよねー」

「仕事があるんでこれで失礼しますよ。純くんも役に立たないなりに、手伝ってください」

 人の心をへし折る台詞を残して、シイナは踵を返し、すたすたと去って行く。

「ちょっと待って」

 僕はその背中に声をかけた。まだ話は終わっていない。

 シイナの足はすぐに止まり、くるりと振り返った。

「なんですか?」

「もうひとつ。シイナには知ってて欲しいことがあるんだ」

 きょとんと首を傾げるシイナ。もういちど、僕の傍まで戻ってきた。

「どうぞ、話してください」

「うん」

 僕は不意に空を見上げる。

 その方が、そこはかとなく親密な雰囲気がでると思ったからだ。

「じつはね――――この戦の趣旨はべつにあるんだ」

 さも深い意味合いを含んでそうに言ってみた。

「そんなこと言われなくても分かってますよ。だれがあんたのエロ本のために戦いますか」

「……あいかわらず酷い言い草だな」

「で、早く教えてください」

 せっつかれて、ごほんと咳払いをする。こちらのペースを取り戻し、胸を張って言う。

「この戦いの真の目的は、聡士の救出にあり」

 シイナはぱちぱちと瞬きをした。それから頭の中を調べるように固まり――数秒後、

「ああ――――あの人ですか。純くんのことだから、忘れてるものだと思ってました」

「なにを言う。僕の唯一の友達だぞ。そういうシイナは覚えていたのか?」

「忘れてました」

 聡士、ざまみろ。

 とは口にはださず、残念な風を装いながら、

「あいつは次期生徒会長に目されるほど顔が広いんだよ」

「純くんとは大違いですね」

「うるさい。それで、聡士を救出することができれば、さらに多くの部活がこちら側につく。そうすれば、いよいよ決定的な差をつけることができるだろう」

 手筈では、僕が率いる本隊が、僕の類い希なる魅力によって生徒会の勢力を引きつける囮となる。その隙に、ミミが別働隊を率いて、ビッグ・ヘルを攻略。聡士を救出するのだ。

 ついでに、投獄された校内の実力者たちも一緒に助ければ、こちらの陣営に加わってくれるかもしれない。

「さすが純くん。小賢しい作戦です」

「それって誉めてるのか?」

「それなりには」

「いいか、このことは一部の人間にしか教えてない。絶対に秘密だぞ? 絶対だぞ?」

「念を押されても喋る相手とかいませんから」

「どうして?」

「友達いませんし」

 そういえばシイナは転校してきたばかりだった。それも転校初日から投獄されるわ、それ以降隠れて生活をするわで、自分の教室にすら顔をだしていない。友達なんてもちろんいないだろう。よかった、よかった。

「そうか、シイナは僕の仲間だったのか!」

「…………」

 すごく心外な目つきで睨まれたが、いまさらそんなことでは動じない。

 僕は機嫌良く結論をまとめる。

「戦いの趣旨は、ミミが聡士を救出し、僕たちと合流して、生徒会勢力を打ち破り、僕のエロ本を回収することにある」

「やっぱり、エロ本が目的じゃないですか」

「あたりまえだよ」


          ◇


 そして、むかえた日曜。

 僕たちの軍勢は、校庭の中央に陣を築いていた。

 その数、三〇〇と少し。一五の部活からなる連合軍である。

 連合軍の正面には、第一体育館が要塞のように佇んでいる。

 いま、この体育館の中では、着々と皐月純エロ本展示会の準備が進められていた。なんとしても、これを阻止しなければならない。

 だが、体育館の前には、五十嵐センパイ率いる討伐軍が、僕たちの行く手を遮っていた。

 その数、四〇〇。治安維持部ビッグ3の近衛騎士団を筆頭に、二五の部活からなる大軍である。

 両軍は早朝より睨み合って、早三時間が経過しようとしていた。

 どちらの陣営にも、いまだ目立った動きは見られない。

 日が徐々に高くなってきた。

「…………」

 サツキツツジの花の模様が描かれた軍旗が咲き乱れる、連合軍の本陣。

 その中心で、派手な陣羽織を着た僕は、パイプ椅子に座り静寂を保っていた。へたに喋らないほうが大将たる風格が滲みでると思ったからだ。効果の程はさだかではないけど。

 そんな僕の脇を固めるように居並ぶ各部の部長たちとシイナ。

 シイナは秘書官として常に僕の隣で待機している。桜ノに借りた戦闘服が似合っていて、これはこれで可愛らしい。

 ちなみに、苺は同席していない。〈運命に従う会〉の面々は基本的に内気でひ弱である。よって、戦ではものの役にはたたないので、学生寮で待機させている。

「報告します」

 伝令が息を切らしながら本陣にやってくる。三〇分ごとの定期報告だ。

「生徒会陣営に目立った動きなし。中立勢力も、静観を続けています」

 軍を展開しているのは僕と生徒会だけではない。表面上、中立を貫いている部活も学校の至るところに陣を築き、情勢によってはすぐに戦闘行動を起こせるように構えている。戦いの最中、いかに中立勢力を取り込むかが勝利の鍵となるだろう。静かなる戦場の裏には、壮絶な攻略戦が展開されているのだ。

「…………」

「純くん? 起きてますか?」

 伝令の報告を聞いてもぴくりともしない僕が気になったのか、シイナは少し心配そうに声をかけてきた。

「……起きてるよ。こんな状況で居眠りできるほど、僕の肝っ玉は大きくない」

「ええ、それは分かってますけど」

 と、言葉尻をにごすシイナ。

 そんなに僕のことを心配してくれているのだろうか? もしそれならば、こんなに嬉しいことはない。好感度がいつの間にか上昇していたようだ。よし、こんど膝枕をしてもらおう。可能ならおっぱいも触りたい。

 シイナの、小柄な割にふくよかな胸回りのことを考えていると、ふくふくと元気が湧いてきた。緊張の波が後ろへ引いてゆく。

「よし!」

 自分の両頬を叩いて気合いを入れる。

 突然の行動に、皆の視線が集中した。

「おのおの方、話を聞きたまえ」

 金色の采配を手にして、僕は席を立った。校庭の隅に伸びる時計をみる。あと、一五分で十一時になる。

「突撃の準備をっ。十一時になり次第、こちらから攻撃を仕掛ける!」

 各部の部長たちは一斉にざわめいた。

「しかし、皐月さま。軍勢は生徒会のほうが勝っています。いまの状態で攻撃を仕掛けても、返り討ちに合うだけかと……」

 部長のひとりがおずおずと提言してくる。

 うん、その言葉は正論だ。こちらは三三〇。生徒会は四〇〇。

 少しだけ相手の方が勝っているように思えるが、その内実は違う。それは、校庭と体育館を囲むようにぽつぽつと展開された中立の部活事情がある。

「皐月さま。我々から見て、討伐軍から離れた左に陣を取っているサッカー部。戦いが始まれば、あれは我々の敵となりましょう」

 他の部長が冷静な分析をする。

 表面上は中立ながらも、生徒会側だと目されているサッカー部は、第一体育館と第一校舎を繋ぐ渡り廊下に、陣を張っていた。その数、八〇。戦局を左右する勢力である。サッカー部が敵に回れば、戦力差は歴然。こちらに勝ち目はないだろう。

「だがしかし!」

 僕は自信をもって声をあげた。正面の討伐軍に背を向け、緊張の面持ちの部長たちをじっくりと見回す。皆は、僕の意図を測りかねているようだ。

 無理もない。情報漏洩を危惧して、彼らには本当の目的を伝えていない。事前の内密な打ち合わせにより、午前十一時にミミがビッグ・ヘルへ攻撃を仕掛ける手筈となっている。それを生徒会に悟らせてはならないのだ。

「サッカー部はすでに我が掌中なり!」

 僕は皆に勇気を与えるため、隠していた切り札を表にする。

 一同のざわめきがより一層大きくなった。

「どういうことなんですか?」

 シイナが代表して問いかけてきた。その顔は浮かない。

 このことは彼女にも秘密にしていた。もしかして怒ったのだろうか? あとで謝っておこう。

 僕はことの経緯をシイナにひっそりと説明する。

「じつはね、サッカー部のキャプテンが、苺ちゃんのこと前々から好きだったみたいなんだよ」

「はぁ?」

「それで、こんど紹介してあげるってことを条件に、寝返って貰える手筈なんだ」

「……苺さんは了承してるんですか?」

「まさか」

 僕は肩をすくめてみせる。

「だって、苺ちゃんって予言のことしか興味ないみたいだし」

「これまたセコイ作戦ですね……」

 シイナは半ば呆れ顔だった。

 まあ、そう言われるとは思ってはいた。反論の余地はない。

「だけどこれは戦争なんだ。多少の不義は致し方ない」

「あとでどうなっても知りませんよ」

「覚悟の上だよ」

 ごほんと、咳払いをひとつ。

 シイナとのやり取りを打ち切って、改めて皆を見回した。

 部長たちの表情が柔らかくなっている。

「おのおの方。よって、我々は、圧倒的不利にあらず。皆の活躍により、十分な勝算あり!」

 念を押すように、事実を口にすると、部長たちのようすも活気づいてくる。

「いざ行かん。勝利を我らの手に!」

「「「えいえい、おー」」」