※本作はniconico「ニコニコ連載小説」内「電撃文庫チャンネル」で掲載された作品の再録です。


【博多豚骨ラーメンズ】
『とあるバリヤワの独白 ~博多豚骨ラーメンズ外伝~』

 こう見えて俺は、殺し屋だ。
 安物のスーツにぼろぼろの鞄を手にした、くたびれたサラリーマンのような格好をしているが、人を殺すことで金を稼いでいる、正真正銘の殺し屋だ。
 殺し屋といっても、そんなに驚くほどのことじゃない。この博多の街じゃ、殺し屋なんてもんは珍しくも何ともない。人口の3パーセントは同業者だとさえ言われている。その上、俺はたいした殺し屋じゃない。恐れられることも、崇められることもない、ただの無名の殺し屋だ。
 この博多の街では、殺し屋のランクをラーメンのかたさに例える風習がある。強い順に、コナオトシ、ハリガネ、バリカタ、カタ、ヤワ、バリヤワだ。コナオトシ級に近いほど依頼も殺到するし、報酬も跳ね上がる。
 俺はといえば、もちろん最下層、バリヤワ級だ。たいした実力もないし、のし上がろうという野心もない。身の丈にあった仕事をして、それなりの金を貰い、不自由なく生活できれば、俺はそれで十分なんだ。
 たしかに俺は、バリヤワ級のとるに足らない殺し屋だが、実のところ、俺に依頼してくる客は多い。最下層にしては繁盛している。なぜなら俺の仕事は、普通の殺し屋とはちょっとばかり毛色が違うからだ。
 俺のことを、一部の人間は揶揄するようにこう呼んでいる。殺し屋ではなく――死なせ屋――ってな。
 普通の殺し屋と俺との違い。それは、俺の場合、依頼人がイコール標的である、ということだ。つまり俺の客は皆、依頼する。「自分を殺してくれ」と。
 なにが言いたいかというと、要は、俺の客は全員が自殺志願者だ、ってことだ。客は死を望んでいる。だが、自分で命を絶つことができない。その理由は様々だ。自殺する勇気がない者。死にたいが、周囲に自殺したとは思われたくない者。保険金のために死を偽装しなければならない者。そんなワケアリな連中が、俺に依頼をしてくる。
 今も俺は、依頼人の自殺を手伝ってきたばかりだった。今日の客は、田舎の小さな工場経営者で、経営難に陥り、首が回らなくなった。俺は強盗のフリをして彼を襲い、そして刃物で胸を突き刺した。そして、物取りの犯行に見せかけるため、財布から現金を抜き取る(が、この金はのちに持ち主に戻すことになっている)。死ぬ間際、彼は俺に「ありがとう」と呟いた。殺しておいて感謝されるってのも、なかなか妙な気分だ。
 後は、馴染みの警察がうまく処理しといてくれるだろう。仕事を終え、俺は中洲を歩いていた。屋台が立ち並ぶ通り、その中の一軒の暖簾をくぐった。
「らっしゃい」
 大将が笑顔で出迎えた。ここの大将は愛想がいい。
 俺の他に、客はいなかった。俺はなんとなく、隅の席に座った。
「ラーメンひとつ。あとビールも」
 と注文したはいいが、正直、今はなにかを食べるような気分ではなかった。仕事のあとは、いつも胸がつかえているような感覚を覚え、どうも食が進まない。まあ、当然だろう。人を殺した直後に食欲がわく奴なんて、普通の神経とは思えねえ。サイコ野郎だ。
 そもそも、俺がこの店を訪れたのは、腹ごしらえをするためではない。仕事の報告をするためである。この店の大将は、こう見えて実は殺し屋の仲介屋だ。俺はこの大将から仕事の依頼を受け、遂行する。そしてこうして店に来て、首尾を報告し、次の仕事をもらう。そういうサイクルになっている。
「しけた面しとるやんか」大将は俺の顔を一瞥し、にやりと笑った。「なんね、しくじったとや?」
「いや」俺がしくじることはない。標的の方が殺されたがっているのだから。「いつも通り、うまくいったさ」
「そりゃあよかった」と言いながら、大将が俺の前にラーメンを置いた。箸を持ってみたが、やっぱりまだ食べる気にはなれなかった。
「次の仕事やけど」大将が、ラーメンの隣に一枚のメモ紙を置いた。次の標的の住所だ。「依頼主は、認知症のばあさんよ」
「ばあさんか……なんでわざわざ殺し屋に依頼するんだろうな。そんなに死に急がなくとも、待ってりゃそのうちお迎えがくるだろうに」
「そんだけ早く死にたい、ってことやなか?」
 気持ちはわからなくもなかった。先立ってしまった夫。親の介護を押し付けあう息子や娘たち。ちっとも懐かない孫。家族が自分の存在を迷惑がっている。いつまでも孤独は拭えず、このまま周囲に疎まれ続けるくらいなら、早々に死んでしまいたい。そう思ったのかもしれない。
 俺の口からため息がこぼれた。つい、依頼人の境遇を想像してしまい、いっきに気が滅入る。この依頼を受ければ、これから依頼人にヒアリングし、同情を覚えた上で、相手を殺さなければならないのだ。苦しすぎる。このままこの仕事を続けていれば、いつかは俺の方が心を病み、自殺を望むようになるだろう。
 そろそろ潮時かもしれない。俺は重い口を開いた。「……なあ、大将」
「なんね?」
「もう、終わりにするよ」
 大将は驚いていた。「終わりって、あんた……まさか、殺し屋ば辞めるとね?」
「そうじゃない、今の仕事を辞めるんだ。これからは、普通の殺しをやろうと思う」俺は視線を落とした。意味もなくラーメンをかき混ぜながら、呟く。「この仕事は、辛すぎる」
「どげな仕事でも、辛いもんよ」
「そんなのわかってるさ。けどよ、標的と仲良くなることはないだろ、普通の殺し屋は。標的の生い立ちも、仕事の愚痴も、家族への最期の言葉も、なにも聞かずに殺せる」
「まあ、そうやろうけど……」
「普通の殺しをやりてえよ。遠くからライフルで標的の頭を狙って、引き金を引くだけの仕事がよ。前の市長選だって、殺し屋たちが裏でずいぶんと活躍したらしいじゃないか。俺もああいう仕事がしたいよ。悪党の眉間に弾をブチ込んでやりてえ。相手のことを想いながら殺すのは、二度と御免だね」
 もううんざりだ、と吐き捨てると、大将は困ったように笑った。俺の頼みを承諾してくれたようで、「わかった、わかった」と頷いた。
 愚痴をこぼして少しは胸のつかえがとれたのか、ようやく目の前のラーメンを食べる気になってきた。少し伸びた細麺を、箸で掴み上げる。
 ひと口啜ったとき、背後の暖簾が捲れた。
 風が吹いたのかと思いきや、新たに客がやってきたようだ。男がひとり。若い男だ。二十代前半くらいだろう。
 その青年は、俺から三つ空けた席に腰を下ろすと、不機嫌そうな顔で呟いた。
「ラーメン……とコーラ」
 残念だが、この店にコーラは置いてない。それを知らないということは、新規の客だろうか。
 大将が笑顔で謝った。「すまんねえ、うちはビールしかなかとよ」
「ちっ」男は、隣の店まで聞こえそうなほど大きな舌打ちをした。「なら、水くれ」
 仕事を終えたばかりで、俺はセンチメンタルな気分になっていた。人恋しくなったのか、今は誰かと喋りたい、語り合いたい気分だった。ただの世間話でも、どんなにくだらない話でもいい。人の温かさに触れたかった。だから俺は、その青年に声をかけてしまった。
「見かけない顔だな、あんた」
「ああァ?」男が横目で俺を睨む。目つきの悪い奴だ。
「あんたも殺し屋かい?」
 男は眉間に皺をよせ、さらに目つきが悪くなった。なんでわかったんだ、という顔をしていたので、俺は訊かれる前に答えた。
「見りゃわかるさ」一目見れば、殺し屋かどうかはすぐわかる。殺し屋には、独特の雰囲気があるものだ。
「俺も、この仕事をして長いからな」
「やけん、なんかちゃ。文句あるんかちゃ」
 目つきだけでなく、言葉遣いも悪い男だ。独特の訛りがある。
「福岡の人?」
「……いや、北九」
 キタキュー? 北九州、ということか。ここから電車で一時間はかかるだろう。
「博多には、なにしに? 仕事か? それとも観光?」
「うっせェ、黙れちゃ。くらすぞ」
 どうやら相手さんは、俺とお喋りをしたくないらしい。ここは男の言う通り、黙っておくことにした。面倒なことになっては困る。
 そう思い、口を噤んでいたところ、
「……なあ、お前」
 どうしたことか今度は、その男の方から声をかけてきた。
「今、この仕事長いっち言ったな?」
「え? ああ」
「業界のこと、詳しいん?」
「まあ、それなりに」
「ある殺し屋を探しとるんやけど、情報くれん?」
「ある殺し屋、って?」
「にわか侍」
 男の言葉を聞いて、俺は思わずビールを吹き出しそうになった。
「にわか侍、って……あんた、そんな話を信じてんのか?」
 驚いた。今の若者の殺し屋に、そんなデマを信じている者がいるとは。
「にわか侍ってのは、ただの都市伝説だぞ」
 にわか侍――それは、博多の殺し屋の間じゃ有名な都市伝説だった。
「『博多にわか』って知ってるか? まあ、簡単に言えば、福岡の伝統芸能でさ。間の抜けた面を顔につけて、即興の芝居をやるんだ。にわか侍っていう殺し屋は、その面で顔を隠し、日本刀を愛用している。だから、にわか侍って呼ばれるようになったんだ」
 男は黙って耳を傾けている。俺は続けた。
「にわか侍は凄腕の、それも殺し屋殺しを専門とする、ハリガネ級の殺し屋だ。悪行が過ぎる殺し屋には、『殺し屋殺し』屋の裁きが下る。一時期はそんな噂が出回って、殺し屋たちは震え上がったもんだよ。でもまあ、それはただのデマだったけどな」
「デマ?」
「そう。にわか侍なんてもんは存在しない。あまりに盛んになった殺し屋業界を鎮静させようと、警察が流したデマだったんだ」
 男は信じてないようだった。
「どうやろ? 火のないところに煙は立たん、っち言うやん?」
 俺は訊いてみた。深い意味はない。ただ興味があっただけだ。
「にわか侍なんか探し出して、どうするつもりだったんだ?」
「殺しを依頼する」
「誰の?」
「俺」
 また吹き出しそうになった。
「おいおい、自殺志願者か」
 だったら俺が引き受けてやろうか、その依頼。ついそう答えそうになったが、男が先に否定した。
「違えちゃ」
「じゃあ、どうして」
「殺し合うけ」
 歯を剥き出し、不気味に笑う。
「俺はなァ、戦うのがそーとォ好きなんちゃ。特に同業者と殺し合ってる瞬間が愉しくてたまらん。俺も同じ『殺し屋殺し』屋やけね」
 男はカッと目を見開き、体を小刻みに震わせた。ヤバい薬でもやってるのかと思うほど、気味の悪い笑みを浮かべている。
「そのにわか侍っちいう奴、そーとォ強えらしいやんけ! ああ、早く殺し合いてえェ!」

 狂気じみたその表情に、俺は背筋が震え上がった。寒気がする。蒸し暑い夜だというのに。
 それにしても、なんて野郎だ。イカれてやがる。
 殺し屋の中には、こんな危ない奴までいるのか。それも『殺し屋殺し』屋だって? こんな奴らに命を狙われないといけないのかよ、普通の殺し屋ってのは。冗談じゃない。
 呆気にとられている俺を残して、その男は勘定を済ませ、店を出た。足取り軽く、ネオンが煌めく中洲の街へと消えていく。
「――で、さっきの続きやけど」
 暖簾の動きが止まったところで、大将が話を切り出した。
「次の仕事、普通の殺しをご所望やったね。なら、ヤクザばひとり殺してきて――」
「いや、いい」
 今のようにぬるま湯に浸かっていた方が、俺の性に合っているのかもしれない。大将の言葉を遮り、俺は言った。前言撤回だ。
「やっぱり続けるよ、この仕事」
 俺は俺の仕事をやるまでだ。俺にしかできないことを。
 生き残ってやろうじゃないか、この業界で。バリヤワとしてな。

<おわり>