◇



 その後。僕のしたためた書状は目論見どおり五十嵐生徒会長の目に入った。

 五十嵐センパイは、間髪容れず、先月の選挙で戦った同級生を拘束。選挙違反の罪をでっち上げて投獄した。

 どうやら、自分に仇なす者は片っ端から捕らえる腹積もりらしい。選挙で勝てるだけの支持基盤を持ちながらも、心に芽生えた不安は、彼女の理性を削り取ったようだ。

 そう感じ取った僕は、ここぞとばかりに手紙をしたため続けた。

 〈運命に従う会〉をつかって、各方面へ密書を次々と送りつける。

「これはただの戦いじゃない。正義の鉄槌だ!」

 林の奥。青空の下。僕は手紙に封をしながら叫ぶ。

「なにを訳の分からないことを言ってるんですか?」

 横合いのシイナは呆れたような顔をしている。

「いいかシイナ。一見すると僕は、適当に手紙を送り付けているように見えるだろう」

「はい」

「だがしかし、それは違うんだよ、ふふんっ」

 僕はたっぷりと含みを込めて気障に微笑む。

 シイナはイラっとしたように眉を顰めた。

「あ、そうですか。はいはい、良かったですね」

 話は終わったとばかりに、みかん箱の机に目を落とした。

「……最後まで話聞いてください。お願いします」

「なんですか?」

 面倒そうに顔を上げるシイナ。

「これは虐げられた者の怒りなんだ」

「はぁ?」

「この手紙の宛先は、いままで自分の地位を利用してやりたい放題だった連中だ。僕は以前からあいつらの事が羨ましくて憎らしかった。ここに粛正する。五十嵐センパイも逮捕する理由を作りやすくて喜んでいるはずだ」

「そういうのをなんて言うか知ってますか?」

「正義の鉄槌!」

「僻みって言うんです」

「なんとでもいうがいいさ。あいつらが捕まることを思うと気分がいい」

 僕は得意げに述べると、いかにも密約っぽい怪しげな手紙を苺に渡して、それを届けてもらう。内容は先だってのものと同じ。転校生の予言を得た僕の仲間になるように誘う文章である。

 あとはもう、意図的にばらす必要はない。

 疑心暗鬼になった五十嵐センパイが、血眼で密書を暴きにかかるだろう。

「僕は汚職と癒着にまみれたこの権力構造を必ず打破してやる」

「あ、そうですか。ガンバッテください」

 そして――僕の手紙作戦は憶測通り成功する。

 叩けば埃が出る有力者たちは、わずか三日でことごとく逮捕された。

 それと同時に、五十嵐センパイは周囲への不信感を強め、次第に暴走していく。

 歴代最悪とまで言われる強権ぶりを発揮し始めた。

 これすなわち、僕のライバルが減ったことを意味するし、同時に五十嵐センパイに対する生徒たちの不信も高まっていった。


          ◇


 野宿三日目の午後。

 苺たちの貢ぎ物でずいぶんと過ごしやすくなった林の中。

 一日目は寝袋の中で野宿だったが、いまでは立派なテントが立てられている。迷彩柄のテントの中には、布団代わりのござ、机として使っているみかん箱、各種事務用の備品がそろっていた。品々は一様にボロいが、作業をするには困らない環境が整っている。

 そんな場所で、僕とシイナは忙しく働いていた。こんなに頑張るのは入学以来はじめてである。

「さて、書状作戦もこれで終わりだな」

 最後の手紙をしたため終わった僕はペンをおき、首をまわした。けっこう肩が凝った。あとで〈運命に従う会〉のだれかに肩を揉んでもらおう。

「それで、次はこっちのポスターってわけですか?」

 シイナは手を動かしながら、ちらっとこちらを見た。

 いまシイナに作ってもらっているのは、決起を呼びかけるポスターである。内容はもちろん、五十嵐センパイの打倒。具体的には現生徒会に対してリコールを呼びかけている。

「いや、このポスターは、次の次に向けた布石だよ。次の手は、そろそろ苺ちゃんがもってきてくれるんじゃないかな」

「ふーん、そうなんですか」

 と、シイナが抑揚のない返事をした直後、

「皐月さま、報告です」

 テントの出入り口が開いて、苺が帰ってきた。

 〈運命に従う会〉の皆は、常に情報収集にあたってくれている。苺はその情報を集約して、一日三回の定時報告を行うのだ。もはや僕たちは、生徒会に負けない組織へと変貌していた。

「報告を聞こう」

 僕は偉そうに言った。

 隣からシイナの白い目が突き刺さる。しかし気にしない。

 苺は簡潔に校内情勢を説明してくれた。

 五十嵐センパイは疑心暗鬼になっている模様。もはや、身内さえも疑いの対象としているとの噂もあるらしい。

 そのため、生徒に対する統制は行き過ぎているようだ。

 毎日行われる寮生室点検に生徒のプライバシーは皆無。皆々の不満は臨界点を超えつつあるとのこと。

「うんうん。いい傾向にあるね。この調子で頼むよ苺ちゃん」

「はい。仰せのままに」

 苺は至福の笑みを浮かべて頷いた。おっぱいも揺れた。運命の救世主に奉仕できることがこんなにも嬉しいようだ。

 僕には理解できないけど、とてもありがたい存在である。

「それで、例の人たちは現れたかな?」

「はい。三人の方が、皐月さまにお目通り願いたいと申し出ております。いかが致しましょう?」

「うん。すぐに連れてきてよ」

「かしこまりました」

 苺は軽く頭を下げてから、外に向かって一言声をかけた。

 すると三人の生徒がテントに入ってくる。

 かしこまったようすで、三人は横一列に並んだ。

「男子ソフトボール部、男子バドミントン部、男子バスケットボール部の部長方です。いずれの方も、皐月さまへの協力を惜しまないとのことです」

 と苺は三人を紹介した。

 彼らは、僕が生徒会長になる上で重要な要素なのだ。

 それは我が校特有の部活事情が関係している。

 白滝学園の部活動は――運動部であっても文化部であっても――戦力を保持している。

 体育館やグラウンド、それに専門教室や部室の数は有限であり、すべての部活が納得いく形で配分することは不可能。それゆえに部活同士の争いは、活動場所をかけて戦闘に発展することがあるのだ。

 大きな部がより広大なスペースを得て、小さな部は満足に活動場所を得ることができない。ここは弱肉強食の世界なのである。

 だが、大きな部だけがスペースを独占するのは望ましくない。部活動の多様性が損なわれてしまう。

 そこで、生徒会は各部の規模に応じて活動スペースを配分している。たいていの場合、各部は生徒会のお達し通りに受け入れている。

 それは、生徒会長の背後に数多くの支持部がついており、その連合軍は――たとえ校内最大規模を誇る野球部であっても太刀打ちできないほどの――大きな戦力である。

 つまり、生徒会長になるには、学校を統治できるだけの支持部活をもっていないと無理なのだ。そういう意味で部活は重要な存在だった。

 僕はこの三日、一〇〇を超える密書を各部活に送りつけた。そのほとんどが今の段階では、意に介さず手紙を破り捨てたことだろう。現生徒会に逆らうことは、それだけリスクなのである。暴走中の五十嵐センパイに目を付けられては、部活の存続すら危うい。

 それでもなお、重い腰をあげ、僕に従うと申し出た三つの部活。

 彼らは今までの苦しみを僕たちに訴えた。

「ソフトボールだって立派な競技なんです」

 ソフトボール部長は涙ぐんで言った。

「なのに、野球部のやつらにバカにされ、挙げ句の果てには部外者の生徒にまで『なんでソフトボールやってんの? なんで野球やんないの?』と言われる始末。もう、我慢の限界なんだ。おれたちは一生日陰で終わりたくない。女子にモテたい!」

 彼の訴えに、僕は思わず目頭が熱くなった。その気持ちはよく分かる。僕だって転校生の予言があるまでは日陰の存在だった。

「よし、僕が生徒会長になった暁には、野球部より優遇することを約束しよう」

「あ、ありがたき幸せでございます。ソフトボール部一同、弾丸となって皐月会長の敵を貫く所存であります」

「期待しているぞ」

 続いて男子バドミントン部長は言う。

「バドミントン部は女子だけあればいいと陰口を囁かれて辛いです。コートも女子ばかり優遇されて、こちらは素振りしかできません」

 僕もそう思っていたのだが、表には出さず、同情するポーズだけとった。

「それは難儀な話だ。男子用のコートの新設も検討しておく。僕に任せるがいい」

「はい、ありがとうございます」

 最後に男子バスケットボール部の部長は言う。

「おれたちは部員一〇〇人の校内有数の部活であると自負してる」

 高校の部活動としては比較的マイナーな男子ソフトボールと男子バドミントンと並んで、なぜかここにいるバスケットボール部。

 その理由は、僕も判断付かなかった。

 バスケットボール部長の顔がはんにゃのように歪んだ。

「おれたちは五十嵐優美を許さないっ! たった一度の非礼――誤って、ヨーグルトをぶちかけてしまっただけのこと――それだけのことで、五十嵐はおれたちを目の敵にするようになったんだ。四月から部室も取り上げられ、体育館も週に一日しか割り当てられない。あげくの果てには、新入生歓迎会で裸踊りを強要してくる始末だ…………」

「なるほど……それは災難だったな」

 五十嵐センパイの横暴ぶりは、なにも予言以降に始まった話ではないようだ。元から傍若無人に振る舞っていたのだろう。彼女を当選させてしまったことがそもそもの間違いなのだ。

「五十嵐に一泡ふかせてやれるならおれたちは何だってする」

「よろしい。はい、わかった。存分な活躍を期待する。体育館の割り振りと部室も以前のように戻そう」

「感謝するぜ、新生徒会長さん」

 僕と、虐げられた部活の三人が共に手を取り合って健闘を祈っていると、なにやら外が騒がしくなった。テントの布きれを挟んだ向こう側で、揉み合いの音が聞こえてくる。

「な、なに奴だっ。ここをどこだと思っている!? 救世主さまと天使さまの御前であるぞ。や、やめろ」

 〈運命に従う会〉の会員が悲痛な叫びを上げた。

 生徒会の襲撃かと思い、僕たちは身構える。

 次の瞬間、テントの出入り口が乱暴にひらかれた。

 ソフトボール部長が僕を守ろうと僕の前に立ちはだかり、バドミントン部長が腰を抜かしてその場に尻餅をつき、バスケットボール部長が頭を抱えて隅にうずくまった。

 咄嗟の反応で、誰が本当に信用できるのかよく分かった。以後の人事の参考にしよう。

 それはともかく、とつぜんの訪問者にそろって息を呑む一同。

 現れたのは突撃ライフルを肩に掲げた女子生徒だった。

 頭髪は、活発さを思わせるショートカットで、その両端を高い位置で二つに括っている。背は僕より頭ひとつ分小さい。一瞬、小学生かと思ったが、シイナと同じ制服を着ている。彼女も高校生なのだろう。

「へへんっ――皐月純ってのは、どいつッスか?」

 女子生徒はテントの中を見回しながら、不敵に笑い八重歯を光らせながら言った。その物言いは、どことなく愛嬌があって、シイナとは正反対である。

「…………僕が皐月だ」

 けっこう可愛い子だったので僕は素直に応えた。

 女子生徒は突撃ライフルで武装している。相手がその気なら、丸腰のこちらは一瞬で制圧される。無駄な抵抗はしないことにする。

 僕が予言の皐月だとしった女子生徒は、立ちはだかるソフトボール部長をあっさり組み敷いて、僕の目前へとやってきた。僕とシイナが並んで作業する机越しに、身を乗り出し、ぐっと顔を近づけてくる。目と目が合う。その距離は三〇センチ足らず。

 これで僕も身を乗り出せば、この子とキスできるんじゃないかと思ったが、そのあとが怖いので止めた。

 しばらく僕の顔面を舐めまわすように見た女子生徒は、口の端をあげてニヒルに笑い、

「オーラがないッスね。とても人の上に立つべき人間には見えないッス」

 と失礼なことを言ってきた。

 しかし、そんなことは自分が一番よく知っている。

 僕は、心の底では深く傷つきながらも、対抗するように怪しく微笑んだ。

「だがしかし、僕は運命に選ばれたんだよ」

「しししっ――変な奴。だけど、おもしろそうッスね」

 笑顔をさらに塗り重ねた。

 と、その直後。

 女子生徒はとたんに真面目な顔になり、突撃ライフルを肩に掛け、びしっと背筋をのばして直立した。右手を額にかかげて敬礼する。

「現会長の蛮行を見かねて参上しました。桜ノ治安維持部・司令・神九ミミッス」


          ◇


 我が校には特殊な部活動が存在している。その名を治安維持部という。

 治安維持部――戦闘部員のみで構成され、生徒会や各部活動からの依頼によって、イベントなどの警備、部活同士のいさかいが起こったときの仲裁または加勢、風紀委員の手に余る事件が起きたときの武力制圧など、様々な荒事を一手に引き受ける戦闘集団。戦闘部員の熟練度は、運動部よりも遙かに高い。

 桜ノ治安維持部。

 複数存在する治安維持部の中でも、ビッグ3と呼ばれるうちのひとつ。その部長もとい司令の神九ミミが、直接、僕に会いに来たのだ。

「正直なところ、迷っていたッスよ」

 三人の部長と苺を退出させて、少し広くなったテントの中。

 僕とシイナと相対して、パイプ椅子にどかっと座ったミミは、遠慮のない口調で経緯を語る。

「ただの一生徒に生徒会長が務まるわけないッス。しかし、転校生の予言が外れたことがないのもこれまた事実。だから、どんな形であれ皐月っちは生徒会長になるッス。問題は生徒会長になったあと、学校を纏めることができるのか――または、それに足る人物なのか。あたしら桜ノにとっては、そこが重要ッスよ」

「なるほど。義を重んじると噂されるだけのことはある」

 僕は机に肘をついて、顔の前で手を組んで、目は鋭く細めて、あたかも有能な人間であるかのように装った。

 ミミに言われた言葉が、けっこう胸に突き刺さっていた。僕の心はピュアであり、とっても傷つきやすいのだ。

 態度だけは人の上に立つ人間っぽくなった僕を見据えたミミは、撃ち抜くような視線を向けてくる。

「そこで、うちの参謀と話し合ったッス。皐月っちと五十嵐っちのどちらにつくのか? ――または、事態を静観するに徹するのか」

「なるほど」

 すべてを見通したと言わんばかりに僕は頷いた。もちろん虚勢である。

「で、あたしらは皐月っちにつくことに決めたッス。五十嵐っちの暴走を止めるため、桜ノは皐月っちにつくことを決めたッス。あたしらは皐月っちが学園のために働く限り、全力で支援するッス」

「……英断いたみいる」

 結論は分かっていたが、改めてミミの方針を聞いて、僕はほっと息をついた。

 それから、威勢よく席をたち、拳を天井にかかげる。

「よし、僕たちは決定的な戦力を得た。予定よりも早いが、いまこそ動くときだ」

「なにをするんですか?」

 シイナに訊かれ、僕は答える。たっぷり希望を込めて。

「これより拠点奪取作戦を開始する」

「その心は?」

「もうテント暮らしはまっぴらだ。そろそろ湯船に浸かりたい!」


          ◇



 四月二〇日。木曜日。夕日も姿を消した放課後。

 今日も五十嵐センパイの指示で、寮生室の一斉点検が執り行われていた。

 五十嵐センパイはなんとしても僕を発見したいらしい。

 だけど、その労力はすべて泡と化す。

 僕はもう逃げも隠れもする必要はないのだ。


 ――ブオオオオオン。


 法螺貝の勇ましい音色が、疑念に満ちた学校の一角を震わせた。

 それに合わせて、迷彩服を着込み、突撃銃を構えた戦闘部員たちが、林の中から出現。その数一〇〇人。皆は風紀委員会専用の学生寮を目指して行進した。

 風紀委員のみが入室を許されたこの学生寮は、生徒会御用達のモノには及ばないが、それでも一般学生寮よりも設備はいい。一時的な拠点にするにはぴったりの建物である。

「包囲せよ!」

 僕は、戦闘部員たちに指示を飛ばし、四階建ての四角い学生寮を瞬く間に包囲した。

 すると、学生寮の中にいた風紀委員がなにごとかと思い、窓から外を覗いてくる。だが、その数は少ない。

 それもそのはず。現在、風紀委員は寮生室の一斉点検に駆り出されて、学生寮にはわずかな人数しか残っていない。

 僕たちはその隙をついて乗り込んだわけだ。

「貴様っ。パンツ泥棒がっ、ここに何の用だ!?」

 四階の窓から身を乗り出した風紀委員が、僕を見つけて叫んだ。僕を無実の罪で連行した風紀委員だった。未だに勘違いしているようだ。

 皆が見ている手前、恨み節を呑み込んで、僕は毅然と言葉を返す。

「手荒な真似はしたくない。残った人員を束ねて、いますぐここから出て行け!」

「ふざけたことを抜かすなこのパンツ泥棒っ」

「しつこい! 僕はやってないと言っているだろ!」

「だまれこの変態野郎っ。貴様は五十嵐会長のパンツを盗み――そして、毎晩毎晩、匂いを嗅いだに違いない。羨ましいなチクショー!」

「ええい、あいかわらず話の通じない奴だ」

 頭にきた僕は、交渉を諦め、人差し指を前に向けて後ろに合図を送った。

「全員突撃」

「了解ッス」

 ミミ率いる桜ノ治安維持部が建物内に侵入する。

 すぐに学生寮から、数発の銃声が聞こえた。中で銃撃戦が起きてしまったようだ。

 ちなみに、この学校で使われている武器は、すべて運命力学に基づいた兵器である。

 銃声は火薬の破裂音ではなく、電子的な『チュン、チュン、チュン』という音だ。

「さすがの風紀委員にも威信があるか……無抵抗ってわけにはいかないようだね」

 安全である外から、高みの見物をしていた僕は唸った。

 ミミたちに被害がないことを祈る。

「ところで純くん。風紀委員って強いんですか?」

 すぐ近くで銃声が聞こえているというのに、シイナはいつもどおり落ち着き払っていた。実に、肝が据わっている。

「あくまでも一般生徒に風紀を守らせるのが目的だからね。部活に対抗できる戦力はないはずだよ」

 転校してきたばかりのシイナには、学園のことは右も左も分からないだろう。

 各部の戦力を測る上で重視される数字は二つある。

 ひとつは戦闘部員の数。兵士の数なので多いに越したことはない。

 もうひとつは、部に在席している転校生の数。この学校で使用される武器は、等しく運命力がエネルギー源となっている。運命力がなければ、銃を撃つこともできないし、戦車を動かすことも、シールドを展開することもできない。

 よって運命力を持っている転校生が重要視されているのだ。

「風紀委員会にはひとりも転校生がいない。護身用の拳銃も生徒会から支給されたものだし、自前の運命力もないから撃てる弾数も限られてる。すぐに決着はつくよ」

 僕がそう説明した直後に、銃声は鳴り止んだ。

 さきほどまで風紀委員が暑苦しい顔を覗かせていた四階の窓から、ミミの可愛い尊顔がひょっこり飛び出す。

「制圧完了ッス」

「ごくろう。被害状況は?」

「敵味方ともに負傷者なし。建物にいた五人の風紀委員は、すべて拘束したッス」

 ミミたち桜ノはとても有能だった。ビッグ3の冠は伊達じゃない。

「よし、いまからこの学生寮は我々の本拠地である。皆の者、急いでバリケードを築くんだ。生徒会に付け入るスキを見せるわけにはいかない」

 僕は戦闘部員一同に指示をとばし、安全になった学生寮に入寮した。


          ◇


 久しぶりにふかふかのベッドで一晩を過ごし、翌日。

 司令部として使うことになった学生寮四階の一室。

 そこには事務用の長机がコノ字に並べられ、僕を中心として、左右にシイナ、苺、ミミ、ソフトボール部長が控える。今のところ、この五人が組織の中枢をになっている。

 いまは苺お手製の昼食を摂りながらの幹部会議。

 料理といい、設備といい、昨日までのテント暮らしと比べるとここは天国である。

 シイナはカルボナーラをぐるぐるとフォークでまくりながら、

「さっき、男子ラクロス部、ラグビー同好会、春画研究会、アニメ研究会がこちら側に付きたいと訊ねて来ましたよ」

 と、いつもどおりの無表情かつ軽い口調で述べた。シイナには僕の秘書官として、中継ぎのほとんどを任せている。

 僕は威厳を込めて、神妙に頷いて見せた。

「よろしい、このあとで謁見しよう。ところで、どの程度の部なんだ?」

「すべて小さな部です。部員は一〇人くらいしかいないようですよ」

「そうか………でも、仲間は多いに越したことはない」

 学生寮を奪った電撃戦は、生徒会をふくめ学校全体に激震を与えた。

 報告を受けた生徒会が、私兵を引き連れて風紀委員学生寮の前までやってきたとき、そこは堅牢な要塞と化していた。

 これを落とすには大規模な攻城戦の準備が必要と判断した五十嵐センパイは、やむなく兵を引いた。

 事実上、生徒会の初黒星である。

 僕が生徒会長になるという大それた予言は、多くの生徒にとって半信半疑だった。運命力学はまだ完成された学問ではない。ついに転校生の予言も外れるときがきたのかと、一部の生徒の間で囁かれていた。

 しかし、この作戦の成功によって、ようやく現実味を帯びてきたようだ。校内では、どちらの勢力を支持するべきなのか、真剣な議論が交わされ始めた。

 しかし、勢力図を見ると、まだまだ生徒会の方が勝っている。不遇の弱小部でなければ、早くからこちらにつくメリットは薄い。いまの状況では仕方のないことだ。

「塵も積もれば山となりますからね」

 シイナはぐるぐる巻きにしたカルボナーラをぱくりと頬張った。リスみたいで可愛かった。

 可愛いついでに、ひとつ気になることができる。

「しかし、男子系の部が大半だな。女子はどうしてる? 女子バドミントンとか、女子水泳とか、可愛い感じの子はどうしてやってこない?」

「トップがパンツ泥棒の純くんですからね。躊躇もするでしょ?」

「それは誤解なんだって!」

 生徒会長に就任したらまずはその嘘八百を正さなければならない。

 しらけてしまった空気を、ミミが咳払いをして正す。

「じゃあさ、あたしからも報告があるッス」

「ありがとう。ぜひお願いするよ」

 横からの助け船に、ミミが女神のように思えた。幼女の女神である。

「昼前からチラチラと偵察が現れるようになったッス」

「生徒会の?」

「いいや。アレは近衛騎士団――あたしらと同じビッグ3の治安維持部ッスよ。騎士団の団長と五十嵐会長は、旧知の仲。だから近衛騎士団は、最後まで五十嵐会長のために働くッスよ」

「なるほど。ビッグ3の一角が明確に敵なのか……勝てるのかな?」

 僕は少しだけ弱気になる。近衛騎士団部といえば、ビッグ3の中でもっとも戦闘部員の数が多い。

 胃の痛みを覚えた僕に対して、ミミは好戦的な笑みを浮かべ言った。

「大丈夫ッスよ。兵の質だったら負けないッス――とは言っても、近衛とまともにやり合ったら、無視できない損害がでるッス」

 なかなか耳の痛い話である。

 僕は腕を組んで、厳かな態度をとって、すごく考えているようすを周囲にアピールした。

「――これから重要な戦いを控えている。小競り合いは避けよう。できるだけ戦力を温存しておきたいからね」

「そうッスね」

 ミミを筆頭に、皆が同意を示した。

 そのとき、〈運命に従う会〉の会員がやってきて、苺に耳打ちをする。会員の話を聞く苺の顔がしだいに曇っていく。

 見ているこっちまで不安の雲がむくむくと膨らんでいると、

「皐月さま……」

 話を聞き終えた苺は、浮かないようすで口をひらく。

「なにかあったの?」

「……報告します。五十嵐会長が攻勢に打って出ました」

「まさか、ここに攻めてくるのか?」

「いいえ、違いますが――」

 苺は言いにくそうに報告を続ける。

「――皐月さまの息子さまをお慰めになる書物のリストが張り出されています」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は目の前が真っ暗になった。

 とてつもなく深い絶望に突き落とされる。

 そういえば、僕の寮生室は風紀委員に差し押さえられたままだった。もちろん、このごたごたで一度も部屋に帰ることはできていない。つまり、本棚の裏に隠してあった、エロ本の数々がすべて没収されてしまったとみて間違いないだろう。

 僕は瞬きを何度かして、意識を現実まで引き上げると、机を叩いて勢いよく立ちあがる。

「なんと卑劣なやつ! 場所はどこだ!?」

「第一校舎前の掲示板です」

 苺は僕に目を合わせずに述べた。僕はかなり傷ついた。

「全軍出動! ただちに引っぺがしに行くぞ」

「なりません皐月さま」

「なぜなんだよ、苺ちゃん!?」

「これは罠です」

「罠だと!?」

「深く考えなくても分かるでしょ。あんたはアホですか?」

 シイナの辛辣な言葉さえも、今の僕はなんとも感じなかった。むしろエロ本の中身に触れないでくれることに優しさを感じる。あー、もー、泣きそうだ。

 絶望とか怒りとかが溶けあって、最終的に悲しみを作り出し、力なく席に戻った僕はめそめそした。もう、お外を歩くことはできない。

「はぁ……どうすればいいんだ……」

「まぁ、ネガティブキャンペーンですからね。動じずに、どっしりと構えてればいいんじゃないんですか」

「無茶をいうなよ。僕の性癖を大衆のまえにさらし続けろというのか?」

「ええ、そんな感じで」

「死にたい……」

「そこまで落ち込むことですか?」

 シイナは理解できないといった風に首を傾げた。

 この場にいる他の女性陣も同じ反応をしている。

 僕の気持ちを分かってくれるのは、ソフトボール部長だけのようだ。彼は、僕と目があうと、手で口元を押さえてわんわんと僕のために涙を流してくれた。こんなにいい奴はそうはいないだろう。もしかすると、新しい友と巡り逢えたのかもしれない。

「シイナ。これは純然たる男子にしか分からないことなんだよ……」

「まぁ、好きに落ち込んでください」

 シイナは面倒臭そうに突き放した。

 僕が途方に暮れていると、ピンポンパンポンと、校内放送のアナウンスが流れた。寮を含めた全校内にかかる緊急用の放送だ。

『ごほん。あー、あー、聞こえるかしら?』

 声の主は、憎き五十嵐センパイだった。

『逆賊の皐月純。逆賊の皐月純に告げる――――例のブツは、わたくしが預かっていますわ。返して欲しくば、生徒会室まで投降してきなさい』

 例のブツとは、もちろん僕のエロ本のことだろう。

「ふざけるなっ。緊急放送をこんなことに使いやがって……どんだけ自己中な女なんだ」

 僕は窓の外に設置してある校内放送用のスピーカーに向かって叫んだ。

 シイナが呆れたようにため息をつく。

「ここで叫んでも聞こえませんから」

 五十嵐センパイの放送はまだ続いた。

『三日だけ待ってあげますわ。三日目の日曜までに投降しなければ、顔写真と共に皐月純コレクション展示会を実施します。場所は第一体育館。入場無料。それでは、いい返事を期待してますの。ごきげんよう』

 ピンポンパンと校内放送が終了した。

 僕は頭を抱えて蹲った。

「あいつは悪魔なのか……」

 日曜までに投降しなかったら、僕のエロ本が大衆の面前に晒される。それも僕の顔写真を添えて…………とても人間の所行ではない。