●

 持参した弁当を、いつもの空き教室でつついていると、テンコが現れた。
「でたな」
「人を幽霊みたいに言うな」
「幽霊じゃん」
「はっはっは! そうだった、そうだった。これは一本取られたの。山田君、なでなでしてやって」
「座布団よこせよ」
 テンコを適当にあしらって、箸で卵焼きを挟む。
 彼女は始業式に会話して以来、日に数回俺の前に姿を現した。授業中であっても体育の時間であってもおかまいなしだった。
 俺以外の人間にはテンコの姿が見えないらしく、好きな時に出て来ては、言いたいことを言って消えていく。テンコに人前で話しかけるわけにはいかないので、基本的には無視を決め込んだ。しかし、テンコがカツラ疑惑のある古典教師の頭部をじっくりと眺めている時だけは、笑いをこらえるのに必死だった。
 そうこうするうちに、だんだんと彼女への警戒心は解け……、というか、いい加減な彼女の性格に、丁寧に対処するのが面倒になってきた。
「ったく。俺がやっと見つけた落ち着く場所が、あんたのせいで騒がしくなったな」
「それはこっちの……」
「こっちの、なんだよ」
 テンコは言葉を選んでからまた話し出した。
「こっちの勝手じゃろ。わしがどこにいようと、わしの自由じゃ」
「それもそうだけどさ。あんたさ、俺の前にいない時はどこで何してんの?」
 机の上に寝転んでいたテンコが体を起こしてこっちを向いた。
「散歩したり、授業を眺めたり、寝たり、まぁ、適当にしておる。あとジャンプ読んだり」
 彼女は袴の袂から、漫画雑誌を取り出した。
「マンガ読むのか」
「読むぞー。生徒が捨てたものを拾ってくる」
 テンコは空中に寝そべって漫画を読み始めた。無造作に足を組むので、袴が彼女の膝までずり上がる。
「はっはっは! ジャンプは毎週面白いのー」
 表紙には、『サンデー』と大きく書かれていた。
 彼女にとっては、どれも同じに見えるらしい。
「夏休みなどは持ち込む生徒がおらず、話が飛び飛びになってしまうのが悩みどころじゃな。そうだ、お主届けてくれぬか? ジャンプ買ってこいよ」
「パシりにしないでくれ。なんだ、あんたって学校の外には出られないのか?」
「この学校の七不思議じゃからな。まぁ、少しくらいなら出られるぞ。力は弱まるし、時間も範囲も限られるがな」
 どうりで俺が下校してからは出てこないわけだ。帰宅してからの様子を覗かれることはなさそうだ。仮にこいつが嘘を言っていなければ。だが。
「他の七不思議と遊んだり、話したりはしないのか?」
「遊ぶも何も、他の七不思議に人格なんてものはない。幽霊というのは死んだもの魂の欠片なのだ」
「魂の欠片?」
「そうじゃ、お主よ! 日が完全に沈みきっても、まだ空が明るい時間帯というのがあるじゃろ?」
「ある、な。確かに」
「あれは空に残るわずかな光が、地を照らしているのだ。幽霊というのはそういう存在なのだ。魂そのものは、天国なのかあの世なのか、成仏なのか、それはわしにもわからんがこの世から消える」
 テンコは両手の指を触れ合わせてから、ゆっくりとそれを離した。
「しかし、その魂の欠片。想いや、意志、性質といったわずかな一部分だけが残滓として、この世界に残るのだ」
「残滓、ねぇ」
「ほれ、あの花子さんも人格があるように見えて、その実、魂の中の“少女らしさ”が欠片として残ったにすぎん。卒業式の夜も、少女らしくじゃれておったじゃろ?」
 桜の花を散らすほどの現象を起こして、じゃれていた。というのは人間からしたら恐ろしい事この上ない。
「もし今まで死んだ連中の魂全部がそこらで好き勝手やっておったら……、まぁ、それはそれで楽しそうじゃな」
「ん? 待てよ。じゃあ、あんたはどうなんだよ。魂の欠片っていうには、ずいぶんと人間らしいけど」
「魂の大部分が人格を持って残ることも、あるにはある。非常に稀じゃし、やがて少しずつ消えていくがな」
「じゃあ、あんたはそのレアケースってことか?」
「いんや、わしは幽霊というより、精霊や神に近い存在だな」
 テンコは長い足をパタパタさせている。
「神ぃ?」
 俺が怪訝な表情をしているのを声で悟ったのか、テンコは声を尖らせた。
「なんじゃ馬鹿にしておるのか? わしはむかーしむかし、おじいさんと、おばあさんが川に洗濯にいくより昔から生えておった、桜の木の精霊じゃ」
「き? きって、あの木か?」
「そう。あの木じゃ。それはそれは大きな木での。どれくらい大きいかというともう天にも届きそうな勢いで、いや下手したら届いておったの。てっぺんは空気が薄かった気もする」
 現代建築もびっくりである。テンコが話を盛っていなければ、であるが。
「とまぁ、それくらい立派な木で、その土地の者達から崇められておった。その中で、わしという精霊が宿ったのじゃ」
「その桜の木の精霊が、なんで今はこの学校に?」
「ある日、地滑りで、ぽっきり倒れてしまったのじゃ。それを見たその土地の人間は『ずっと見守ってくれていた神木を捨てるなど!』と言って、近くで建てていたこの学校の材木としてわしを使ったのじゃ『今度はここで子供たちを見守っていてください』という願いを込めてな」
 テンコは武勇伝を語るかのように胸を張った。
「そうしてわしはこの学校そのものになり、この学校の精霊になったわけだ」
「材木って、この学校はあんたで出来てるのか?」
 思わず教室を見回す。
「この校舎が木造に見えるか? 何度も増改築したからの。今はもう極一部しか残ってはおらん」
「元桜の木、現、清城高校そのものってわけか」
 卒業式の日、桜の花を散らす花子さんに、「桜は大切にせい」と言ったのもそういう過去が関係していたのかもしれない。
「まぁ、お主ら人間からしたら幽霊も、精霊も変わらんじゃろ? だからわしも自らを幽霊だと名乗っておる。難しいことは考えず、とにかく偉大な存在だと思っていてくれればよい! はっはっは!」
 高笑いするテンコを前に、いたずら心が俺の中で芽を出した。
「ってことは、実はあんた、結構年とってるんだな」
「人間からみれば、そういうことになるな」
「じゃあ、もしかしてその年で制服着て、怖くて動けなくなっちゃってー。とか演技してたのか。痛いな。それ」
「はっはっはっは! これが事の他楽しいんじゃ!」
 テンコが幽霊だからだろうか、それとも彼女の性格のせいだろうか、皮肉は全く効果がなかった。
「うん! んん! あーあー。“怖くて、動けなくなっちゃったの”どうじゃ? 可愛いじゃろ?」
 声色を別人のように変化させながら遊んでいる。その変わりようには恐ろしさすら覚える。
「あ、制服といえばな。この袴は、学校が出来たての頃の制服なのじゃぞ」
 そう言って、テンコは袴の袖を持ってターンしてみせた。

 弁当を食べ終えると、俺は中庭を見下ろし、いつも通りあるものを眺めてた。
「なにを見ておる?」
 テンコに後ろから声をかけられ、あわてて振り向く。
「なんだよ、漫画は読み終わったのか?」
「読み終わってはまずいのか? なんじゃなんじゃ、花粉で垂れた女子の鼻水でも見ておったのか」 
 テンコは窓をすり抜け、手で日よけを作り中庭を見渡す。
「違うよ! どんなフェチズムだよ」
 違うのだが、俺が見ていたものはテンコには知られたくなかったので、適当に嘘をついた。
「ほら、あれだよ。あれ見てたんだ」
 向かいの校舎にかけられた垂れ幕を指さす。そこには『祝 青上新司オリンピック出場決定! 200m背泳ぎ・メドレーリレー』とあった。
「あの青上って人、うちの学校の卒業生なんだってさ。すごいよな。オリンピックだぜ」
「おお。あいつな。覚えておるぞ。高校の時の努力を見ていれば、さほど不思議ではない」
「もしかして卒業生全員覚えてるのか」
「確認したことはないから全員かは分からんが、大体はな。わしにとってこの学校の生徒は、我が子のようなもんじゃからな、相当に存在感がなくて目立たない地味~なやつでない限りは……」
 言葉の途中で、テンコは俺を見て止まった。
「お主の事は頑張って覚えておくようにするからな。安心しろ!」
 テンコが胸を叩く。悪気なくこんな事が言える性格に、むしろ関心さえしてしまう。
「俺はお前の言う通り地味だけどさ。あの青上って人は高校の時からすごかったんだろ? 全国とか出て、賞とって。結局すごい人ってのは、高校の頃からすごいんだなぁと思ってさ」
「その点、自分は冴えない上に、こんなところで一人で飯を食ってるダメダメなやつだなぁ。とか考えていたのか」
 テンコは眉をひそめた。皮肉ではなく、本気で心配している様子だ。なでようと差し伸べられた手を払う。
「そこまでじゃないけど、大体そんな感じだ」
「ふふふ。だが、それがそうでもないぞ」
 テンコが意味深に微笑む。
「去年までのお主はそうだっただろう。だが今年のお主は違う。なんせ七不思議の一つ、三年B組中崎くん! なんだからな!」
 
 テンコは黒板を叩きながら、まるで教師のように説明を始めた。
「七不思議とは幽霊であるがゆえに、お主ら人間には理解できない不思議な現象を起こすことが出来る」
「『花子』さんが黒い霧になって暴れまわるみたいにか?」
 今でも彼女の姿を頭に浮かべると、手に汗をかく。
「そうじゃ。まぁ、あやつは七不思議の中でも特に古株で、やることも派手だがな」
 テンコの説明を聞いて安心する。あんな幽霊が山ほどいたのでは、この学校に通う生徒としては気が気ではない。
「とにかく幽霊によって起こされた怪現象を、お主ら人間たちが噂する。そうして、それが怪談になってゆくわけだな」
「って事は、俺にもなにかしらの怪現象を起こす力がついてると?」
「いんや。お主にはない。そもそもお主はまだ、ただの人間であろうが」
 そうだ、仮に魂を登録しているだけだった。
「その代わりに!」
 テンコの声がひときわ大きくなった。
「他の七不思議の力、お主に貸してやろうではないか。これが前言った、七不思議を担ってもらう見返りじゃ!」
 テンコの人差し指が俺の額に向けられる。
「貸す……?」
「前も言ったように他の七不思議には意志や人格というものはない。あくまで魂の欠片じゃからな。そんなやつらに代わって、お主が力を使うタイミングを判断し、指示してみい」
「そんなことできるのか?」
「七不思議を司るわしができると言っておるのじゃ。できるに決まっとろう」
「俺が力を借りて、怪現象を……?」
 戸惑う俺にテンコは続けた。 
「ただし! 立場は対等。あくまで指示するのみ。七不思議の機嫌を損ねたり、嫌われていれば、シカトされるだけだからな」
「人格がないのに嫌われるのか?」
「魂の欠片として残ったものが、もとの魂の理念や、想いであったなら、それは本能として残る。幽霊となった魂の欠片たちは、普段その本能に従って行動しておるわけじゃ」
「魂の本能……」
 事故で死んだ人間の魂がその場に残り、同じ道を通るドライバーの前に現れて、事故を未然に防ぐような行動をとる。そんな怪談話を記憶から掘り起こす。
 テンコは袴の袂から、先日俺に見せた紙をとりだした。七不思議のリストだ。
「そうだな。わしとお主自身を除いた、五つの不思議の力を使えるわけじゃが、最初はこれが分かりやすいかの」
 テンコは胸元からなにやら取り出し、俺に投げた。あわててキャッチする。
「これって、携帯……。ってことは」
「そう、『呪いのメール』じゃ」

 清城高校七不思議
『呪いのメール』

 ある女生徒の元にメールが届く。
 そのメールは登録していないアドレスからのもので、ある日付が書いてあった。
 女生徒はいたずらかと思い無視する。
 しかし、そのメールはそれから毎日、多い日には一日に何百通も送られてくる。
 アドレスを変更しても、携帯を替えても、そのメールは届く。
 女生徒は携帯を持つことをやめた。
 これで安心だと思った矢先、女生徒は不慮の事故で死んでしまう。
 その日は、送られてきたメールにかかれていた日にちだった。
……という話なんじゃが」
 テンコは雰囲気たっぷりに『呪いのメール』の怪談を話してくれた。
「な、なんだよ。そんな恐ろしいもん操りたくないぞ」
 テンコに渡された白い携帯電話を二本指でつまむ。
「ぞんざいに扱うでない。その携帯の中には人の魂が入っておるのじゃ。敬意を払え」
「そうなのか?」
 俺は携帯を両手で持ち直す。
「魂の欠片は、生前執着を持っていたものや場所に宿るのじゃ。生きていた時、携帯での繋がりに支えられておった者の魂の欠片が、そこには宿っておる」
 一応携帯に向かって謝る。そんな俺を確認してから、テンコが説明を続けた。
「といってもこの怪談は、大分尾ひれがついたものでな、実際のところは、学校の中にある携帯にメールを送ったり、中身を見たり出来るだけじゃ」
 テンコはさらっと言ってのけた。
「それって、全校生徒の携帯ハッキングし放題ってことか?」
「はっきんぐ? その言葉は知らんが、まぁ多分、そういうことじゃ。ただし! あまりにもひどい悪用はわしが許さんぞ。その時は力を返してもらうことになる」
 手元にある白い折り畳み式の携帯を眺める。それは、どことなく普通のものよりも軽い気がして、無気味であった。
「あ、お主くらいになるとその携帯はなじみが薄いかの。こうな、パカッとするのじゃ。パカッと」
 テンコが親切にも動作付きで説明する。
「それは分かってるよ。そもそも俺だってまだ折り畳み式だ」
 クラスメイトの中にはスマホに機種変更している者もちらほらいるが、俺はもし仮に使いにくかったら、すぐ壊してしまったら! 俺の指では反応しなかったら! と高校に入ってから、一度も携帯を変えていない。
「とにかく試しに使ってみぃ。呪いのメール! 百聞は一見に如かずじゃ」
「試しにって言われても……」
 窓から中庭を見下ろす。
「できれば名前を知っている者の方がよいな」
「じゃあ……いやまて」
 言いかけてやめる。
「これ一回使っちゃったら、今年で七不思議やめらんなくなる。とか言わないだろうな」
「はっはっは! 心配性なやつじゃの。そんな詐欺師みたいな真似せんわ」
 テンコは腹から笑って、俺の懸念を一蹴した。
「……じゃあ例えば、あそこでご飯食べてる女の子の携帯でも見れるのか?」
 俺は中庭のベンチに座る一人を指さした。
「ほう、可愛い女生徒を選んだのぉ」
 テンコは片方だけ口角を上げて俺を見た。
「なんだよ。その顔は。他意はないよ。今年初めて同じクラスになったばっかりのうちの保健委員なんだよ。名前は、確か朝倉さんっていったかな。出席番号一番だったし」
「それだけ分かれば充分じゃ。その携帯の連絡帳を見てみろ」
「連絡帳……?」
「えっと、なんていうんだったかの、あれじゃ、あのー」
「アドレス帳?」
「そうそれじゃ」
 白い携帯を開き、アドレス帳を開く。そこには大量の名前が登録されていた。
「それが今現在、学校内にある携帯の一覧じゃ。朝倉を探してボタンを押してみろ。クリックじゃ」
「これはクリックとは言わないんじゃないか?」
 五十音順に並んでいたので、朝倉さんはすぐ見つかった。選択すると、画面に可愛らしい猫の画像が現れた。
「それであの娘の携帯と、この携帯が繋がった」
 この猫の画像は朝倉さんの待ち受け画面だろうか。携帯を操作して受信ボックスを開き、メールの一覧をスクロールしていく。同じ苗字から送られたメールがある。家族からのものだろう。他にも友人の名前らしきものがあった。本当に俺は、彼女の携帯を覗いているらしい。
「う……、これメールの中身まで見たら完全に犯罪だな」
 呪いのメールの力を実感して、手に変な汗をかく。
「そう思うならもう使わなければいい。それはそれで、お主の自由だからな」
テンコに促され携帯を閉じようとした。しかし、あるメールが目に止まった。連絡先に登録していないのか、送信者の欄にアドレスだけが表示されたメールが何通も届いていている。
「あれ? これ全部ここ数時間で送られて来てる。ダイレクトメールかなにかか……?」
「ダイレクトメール?」
 テンコが首をかしげている。
「企業からくる広告メールっていうかなんというか……見せた方が早いか」
 軽い気持ちでそのうちの一通を開く。
 表示された文面に、俺はテンコと共に息を飲んだ。
「なんだ、これ……」
 そこには屈折した彼女への愛情と、誹謗中傷が書かれていた。長い文の最後では「君の綺麗な顔に傷をつけたい」と犯罪をほのめかしている。同じアドレスから送られている他のメールを開く。何通開いても全てに同じような内容が書かれていた。彼女を盗撮した画像が添付されているものもある。それだけにとどまらず、彼女の写真を燃やしている動画や、モザイクで自らの顔を隠した送り主が、現像された彼女の写真に舌を這わせている映像もあった。
 俺は吐き気がして、とっさに携帯を閉じる。
「これは笑えんの」
 テンコがそう呟いた。



   ●

「知ってる? 中庭の桜が、卒業式の日に一本だけ散ったんだってさ。一晩で」
「聞いた聞いた。なんかおじさん達が調査に来てたよね。病気じゃないかって」
「多分病気じゃないよね。今はもう葉っぱ生えてきてるしさー」
 廊下を通り過ぎる女生徒達の会話が聞こえてくる。
 太陽は沈みかけていて、教室の中はオレンジ色になっていた。数人の鞄が机の上に置いてあるだけで、教室には俺しかいない。
「お、来たぞ」
 廊下から壁をすり抜けて入ってきたテンコが、俺に向かって声をかけた。テンコの合図で膝を床につけて、何かを探すフリを始める。しばらくすると教室の扉が開いて、朝倉さんが入ってきた。
 放課後に保健委員の会議があることを知った俺は、彼女が鞄を取りに戻るのを待ちかまえていた。「普通に話しかければよかろうが」テンコは簡単にそう言ったが、面識のない異性に自ら話しかける勇気は俺にはない。せいぜい芝居をうって、注意を引くのが精一杯だった。
「あれ、どうかしたの?」
 机の隙間から這い出てきた俺を見て、朝倉さんが親切に尋ねてくる。
「えっと、コーショーを落としちゃって……」
 何度も心の中で練習した台詞を口に出す。しかし、それでも棒読みだったのだろう、テンコは呆れたように、顔を手で覆った。
「コーショー? あぁ、校章!」
 朝倉さんは、棒読みでおかしくなったイントネーションを正してくれた。
「教室で落としたの?」
「多分……」
 さっき自分で外して、教卓の下に置いた。
「そっか」
 相槌を打つと、朝倉さんは膝を床につけて俺と同じ体勢をとった。迷いなく行われたその動作に、俺は一瞬戸惑う。
「あの、えっと……」
「なに?」
 朝倉さんが俺の顔を見る。彼女の膝が床と接して汚れていく。
「えっと、……ありがとう」
 彼女から目を反らして言った。自分がとても卑怯なことをしている気がして、心臓がチクチク痛む。
 たっぷり探す予定だったのを早々に切り上げて、自らの手で校章を拾った。
「あった! ありました」
 白々しく俺が報告すると、朝倉さんは笑いながら立ち上がった。
「あった? よかった」
 彼女は膝についた埃を払う。それでもまだ、タイツやスカートは所々灰色になっている。
「えっと、ごめん。」
 なにを謝れられたのか分からないのか、彼女は困ったように微笑んだ。
「ごめんじゃなくて、ありがとうって言ってよ」
「あ、うん。ありがとう」
「どういたしまして」
 朝倉さんは少しはにかんでから、自分の席へ向かい鞄をとった。俺は電池が切れたように、ぼーっとそれを見ている。
「おい、帰ってしまうぞ」
 耳元でテンコに囁かれて、やっと俺は口を開く。
「あ! あの!」
 呼び止められて朝倉さんは振り返った。次の言葉を待っている。
「えっと、助けられた、から、お返し、する!」
「日本語覚えたてかお主は」
 テンコが後ろでまた呆れた。
「校章探してくれたから、もし、何か困ってることがあったら、教えてよ」
 彼女は斜め上を見て考え込んだ。
「困ったことかー」
「うん。なにか、ない?」
 俺の頭を、あのメールの文面がよぎる。
「特にはないかな。ぜっこーちょーです!」
 彼女はピースサインを作った。
「何か困ったら相談するね」そう言って、朝倉さんは帰っていった。
 しばらく俺は、そこに立ったままでいた。
「テンコ。一応、あくまでも参考に聞くだけなんだがな」
「なんじゃ、はよ言え」
「他の七不思議は、どんなことができる?」
 
  ●

 清城高校七不思議
   『赤目の鳥』

 昔、この学校には今よりも大きな鳥小屋があった。
 その鳥小屋の中で、ある日一羽の鳥が死んでいた。
 飼育委員の一人は「病気かな」「他の鳥にいじめられたのかな」そう言った。
 しかし、残された鳥達は知っていた。
 その飼育委員が殺したのだと。
 その鳥の目が真っ赤であったことが気に入らなくて殺したのだと。
 生活のストレスをぶつける為に殺したのだと。
 八つ当たりをして殺したのだと。
 その日から他の鳥の目も赤くなった。
 血の様に赤い目で鳥たちは飼育委員を見つめた。
 学校中の鳥が赤い目で飼育委員を見つめた。
 ずっと見つめた。
 常に見つめた。
 その飼育委員が学校をやめる最後の時まで、鳥たちは見つめ続けた。

「で? その話はどこからどこまでが尾ヒレなんだ?」
 俺は校舎裏の鳥小屋の前にいた。
「これは全部本当じゃ」
「そうなのか?」
 鳥小屋に伸ばしていた手を止める。鳥小屋の中の数羽と、目が合ったような気がした。鳥小屋から漂う、ねっとりとした匂いが鼻に入る。
「いつの時代にもひどい人間ってのはいるんだな」
 俺は鳥小屋のエサ窓を開けて、その中にさっき買ってきた鳥のエサを入れる。鳥小屋の中の小鳥達が一斉にエサいれの周りに集まり、我先にとついばみ始めた。
「で? あんたの指示通りお供え物とやらはしたぞ。これでどんなことが出来るんだ?」
「そう話を急ぐな。アカメが食べ終わるまで待ってやれ」
「は? アカメってのは、さっきの話に出てきた殺されちゃった鳥の事だろ? 七不思議の」
「だから、そのアカメが食べ終わるのを待て」
 俺はエサをつついている鳥たちを見る。その中にいる深い緑色をした一羽の鳥は、目が真っ赤だった。
「え、アカメって、まさか、こいつ?」
「こいつ呼ばわりするでない。七不思議の先輩だぞ」
「いや、だって、こいつ幽霊? だって、普通に飯食ってるけど……」
 俺は鳥小屋の網にかけられた、六羽の鳥たちの名札を見る。
 ピーチ 六朗 青ちゃん ビリー 村上 アカメ。
「ほら見ろ、飼育委員が名前の札まで作ってる」
 反論するが、テンコは表情を崩すことなく言葉を返してくる。
「どの幽霊もコソコソと隠れているわけでない。こうやってこの世に溶け込んでおるものもおる」
「いやでも……」
 目の前で食事をし、名前をつけて飼われている鳥が、幽霊だとは思えなかった。俺の幽霊の概念からは大分ずれている。
「周りから認識され、ごく普通に生活に溶け込む。そんな魂のあり方もあるのじゃ。学校の資料にもちゃんとアカメの名は記されておるぞ。いるけどいない。いないけどいる。不思議じゃろ?」
 目をこすってみるが、見える光景は変わらず、アカメはやはりそこにいる。
「いるけどいないって……、でも例えば十年前に卒業した奴が帰ってきたりしたら、さすがに不審に思われるよな。鳥ってそんな長生きしないだろ」
「機会があったら実際に学校を卒業した者に聞いてみろ。学校で飼っていた鳥は五羽だった。そう答える。そういう記憶や資料のつじつま合わせも、わしの仕事じゃ」
「つじつま合わせ……」
「お主たち人間が思っておるより、この世界は意外とあやふやだったりするのじゃ」
「いるけどいない、いないけどいるって……」
 テンコに説明されても納得がいかず、さらに反論しようとした時、俺の肩にアカメが留まった。
「え……?」
 俺は鳥小屋の網を確認する。扉も閉まっているし、どこにも穴など開いていない。
「もしかして、こいつ、今すり抜けた?」
 俺の肩の上でアカメが小刻みに動く。その度にくすぐったいような重みを感じる。
「そりゃすり抜けもする。幽霊なんじゃからな」
 恐る恐る指を伸ばしてなでると、そこには確かに羽毛の感触があった。
「網をすり抜けたり、でも、触ってなでられたり……」
「そこらへんは気分次第じゃ。わしだって、そうであろう?」
 確かに、テンコも時に物を持ったり、すり抜けたりしている。
「あまり幽霊に道理を求めるでない。人間の常識など、はなから通用せんのだから」

 テンコに説明されてもアカメの存在を受け入れかねていた。しかし、アカメの能力を目の当たりにすると、やはりこいつも幽霊なのだと認めざるを得なかった。
「うわ! すげ。完全に監視カメラだな」
 俺は今、鳥小屋の前にいながらにして、校庭で部活道具の片づけをする生徒達を見ている。
 アカメに頼む。学校内のどこどこを見たい。様子を知りたい。そう念じると、校内のその場所に一番近い鳥の視界と、俺の視界がリンクする。鳥の見ている景色が、まぶたの裏に映るのだ。
「単純な指示ならアカメを通じて鳥達に出せる。アカメはここいらの鳥たちのリーダーみたいなもんじゃからの。あ、ただタカの連中とは、仲は悪いらしいそうじゃが」
 テンコはアカメと話してきたかのような口調だった。
「よし、この力を使って、出来る範囲で朝倉さんの周囲を見張ろう。犯人は校内で盗撮もしてるし、見つけられるかもしれない。基本的には、本人、下駄箱、教室くらいか……。あとは……、女子更衣室……?」
「悪用は許さんぞ」
「いや、あくまで防犯だよ! 一番危険な……」
「悪用は許さんぞ」 
 テンコの視線が鋭く俺に突き刺さる。今までで一番幽霊らしい表情だった。
 アカメの力を借りても、すぐには犯人を見つけられなかった。一週間ほど監視を続けたが、何の成果も得られない。
 時に滑空する鳥の視界に酔ってトイレに駆け込み、時には視界の中で昆虫のフルコースが展開されてトイレに駆け込んだ。それでも実際に俺がやっている作業は、目を瞑って座っているだけなので、体力的に疲れるという事はなかった。

 特に成果もないまま、今日も空き教室にいた。アイマスクをして椅子に座り、足を投げ出す。肩に乗ったアカメが、時々思い出したかのように小刻みに動いた。
「放課後にこうしていると、なんだか部活のようじゃな」
 テンコの声は楽しそうだった。
「ただ目を瞑っているだけの部活ってなんだよ。お前は本読んでるだけだし」
 今日は週刊誌を拾ってきていた。漫画以外も読むらしい。
「下駄箱異常なし、教室も異状なし。嫌がらせはメールだけなのかな」
 アカメに指示を出して、鳥の視界を数分置きにローテーションする。朝倉さんは既に下校しているので、今日は定点観測だけだ。下駄箱はスズメ。教室を監視しているのはメジロという鳥らしい。
「しかし、あの朝倉というおなごは、中々に器量がいいな」
 テンコは窓の外を眺めている。
「この一件からわしも気にして見てみたが、授業は真面目に受けておるし、慕う友人も多いようじゃ。目立つほうではないが美人だしの。ま! わし程ではないがな」
 テンコは自分の髪を自慢げになびかせているかもしれない。もう少し口調が上品なら、良家のご令嬢のようにも見えなくもないのだが。
「はいはい、そうだな」
「はっは。よせよせ。照れるではないか」
 声を聴く限り本気で照れている。
「ちなみに朝倉が美人でなくとも助けたか?」
 その問いかけに、俺は思わずアイマスクを外してテンコを見る。視界が雑多な教室の景色に戻る。テンコは並べた机をベッド代わりにして、その上に横になっていた。
「どういう意味だよ」
「深い意味はない。ただお主らしくないと思っての」
 テンコは雑誌に視線を落としたまま、こっちを見ずに続けた。
「俺らしいってなんだよ」
「心配病じゃ。無意味なことまで心配しまくるではないか。例えるなら石橋を叩き続けて、いつまで経っても渡ろうとせんタイプじゃろ?」
 的確な指摘に、俺は口ごもる。
「うるさいな。その方が利口だろ。どこにでも落とし穴はあるんだ」
 車に乗らなければ事故は起きない。戦わなければ負けない。
「利口かもしれんが、幸せかは分からんな」
 テンコは雑誌を閉じて俺を見た。
「別に俺はそれでいいんだよ」
「諸行無常じゃな」
「諸行ってどういう意味だよ」
「知らん」
「じゃあ、無常は?」
 テンコは少し考えてから答えた。
「人生はどうやっても百点満点にはならんってことじゃ」
「なんだそれ」
 その時、肩のアカメが俺の頬をつついた。
「痛っ、なんだよ、パンくずならもうないぞ」
 アカメはやきもきするように、もう一度俺の頬をつついた。
「もしや、なにか見つけたのではないか?」
 テンコが声を尖らせた。俺は目を瞑って、まぶたの裏に下駄箱の景色を映す。
 朝倉さんの下駄箱の前に、男が立っていた。
「アカメ! この鳥に近寄るように言ってくれ」
 視界が男の顔を確認できる角度に移動する。男は周りを気にした後、下駄箱に何かをいれた。
「テンコ。行くぞ」
 俺は椅子から立ち上がった。

 朝倉さんの下駄箱を確認すると、中には彼女を盗撮した写真がいれられていた。彼女の顔の部分には、カッターで幾重にも傷が入れられている。
 俺は携帯を取り出した。自分の物ではなく、七不思議の携帯だ。
「ふ、へ……」
 そう呟きながら画面をスクロールしている俺を見て、テンコが聞く。
「さっきの男は顔見知りなのか?」
「あぁ。堀田だ」
 堀田。下の名前は知らない。同学年の素行がいいとは言えない生徒だ。髪を染め、ピアスをしている。自分より体格の小さい者を人間的に劣っていると決めつけ、思い通りにならない相手には、躊躇なく手を出す。そういう男だ。数回校内で暴行事件を起こし、停学処分をくらっている。
「一年の頃同じクラスで……あった」
 堀田の名前を見つけて、やつの携帯と呪いの携帯を繋げる。知らないパンクバンドの画像が待ち受けにしてあった。
 堀田の送信したメールを確認する。そこには俺たちが確認したもの以外にも、たくさんのメールが残されていた。送られてきたそれらを、朝倉さんは必死で消去しているのだろう。
「ビンゴだな」
「さて、どうする?」
 テンコは下駄箱の上に腰掛けて、俺を見下ろしている。
「心配性の七不思議よ。お主はどうするのじゃ?」
「どうするって……。そりゃなんとかしたいけど……」
 もし仮に堀田に返り討ちにされたら? 余計なお世話だったら? 頭の中をたくさんの心配がじわじわと広がる。
「“なんとかしたいけど”そう言った時点でお主の心は決まっておるということであろう?」
 彼女の視線が俺に真っ直ぐ向けられる。
 心臓が熱くなっているのを感じた。奥歯をきつく噛みしめる。
 堀田が下駄箱に写真を入れた時、俺はやつの表情を見た。写真に軽く口づけをして、あいつは笑ったのだ。必死に耐えて、気丈に振舞う朝倉さんに悪意を浴びせて、歪んだ笑顔を浮かべていた。
「どうすれば、いいかな」
 振り絞るように言った俺を見て、テンコが笑った。
「心配するな。今のお主には、わしらが憑いておる」