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僕が七不思議になったわけ
















プロローグ








 携帯がない事に気が付いたのは、布団に入る直前だった。鞄をひっくり返しても、制服のポケットを裏返してみてもどこにもない。
「まさか、学校か……?」
 普通の人は「明日とりにいけばいいか」と済ませるのかもしれない。しかし、俺の場合は一粒落とされたその不安が、心の中で滲んで広がって、それ一色になってしまう。もし仮に、学校に置き忘れた俺の携帯を誰かに盗まれていたら、何十万もの請求が来たら、犯罪に使われたら! 
 牢屋で無罪を叫ぶ自分を想像したところで、学校に向かう事を決意した。

 校舎の壁面にかけられた時計はもうすぐ深夜零時を回ろうとしている。校舎は無機質な黒い箱のようで、昼よりも大きな圧迫感で俺を見下ろしてきた。見回りの人はいないか、近所の人に見つからないかと、校舎の周りしばらくをうろうろしてから、フェンスを急いで乗り越えた。
 歯の隙間から空気を漏らしながら、窓を静かに開ける。この美術室の窓が先日壊れたままだったのは、不幸中の幸いだ。
 美術室内に入ってすぐ、誰かの視線を感じて飛び退いた。
「うわ! 誰! ごめんなさい! 怪しいものでは……!」
 言い訳をしながら、視線の正体が石膏像だったことに気が付く。
「頼むから、驚かさないでくれよ……」
 飛び退いた拍子に、黒板の『祝卒業!』という文字をこすり消してしまった。ジャージの腕部分についたチョークの粉を払う。
 今日、この清城高校は卒業式が行われていた。中には途中で涙を流す先輩もいた。俺は在校生の椅子からそんな卒業生たちを眺めていたが、来年涙を流してそこに立つ自分の姿は、全く想像できなかった。
 それよりも、携帯を見つけ出す方が差し迫った問題である。
「怖くなんてない~全然平気~」
 たった今自作した嘘だらけの曲をおそるおそる口ずさみながら、今年一年間を過ごした教室にたどり着く。机や椅子に数度足をぶつけながら、自分の席に向かった。手を突っ込んで探るとすぐに携帯は見つかり、安堵のため息をつく。
「よかった。でも、俺こんなとこいれたっけなー」
 記憶にはないが俺の事だ。もし仮に卒業式の最中に着信が来たら! といつものごとく心配し、机にいれたのだろう。
「よし、後は帰るだけ……」
 ただ、携帯が無事だったくらいで安心できる程、俺の心配性は甘くなかった。携帯が盗まれているかも、という強迫観念がなくなり冷静になったぶん、次から次へとまた別の不安が頭に充満していく。
 もし仮に、誰かに見つかったら、もし仮に、今この校舎に殺人犯でも逃げ込んでいたら……。
 昼間は突き当たりまで確認できる廊下が、今は奥まで見通せない。まるでそこに暗黒に繋がる穴がぽっかり開いているようだ。
 急に気温が下がったような気がして、ジャージのチャックを顎まで上げてから、早足で階段を下って行った。

 今度は壁に掛けられた肖像画に一度驚いて、美術室の窓を跨いで中庭に出る。
 警備員さんがいないか、木の陰に隠れて中庭を覗く。中庭全体を見回してみると、植えられた桜の木それぞれが、もうすぐ満開になろうとしていた。月の光に照らされたピンクの花は、ぼんやりと光っているようにも見える。
「夜でもきれいなんだなぁ」
 見とれて一瞬だけ不安が和らぐ。無防備に歩き出すと、隠れていた幹の反対側に、一人の女性が立っていた。
「うわああぁ!」
 俺が叫んで飛び退くと、彼女も体をびくんとさせて距離をとった。一つに束ねられた長い髪が大きく揺れる。
「ひゃっ……! 誰? 誰なんですか?」
 俺も彼女も桜の木に身を隠しながら、互いをうかがう。
「ご、ごめんなさい、まさか人がいるとは思わなくて……」
 敬語を使ったのは、彼女の持つ雰囲気が明らかに年上のものだったからだ。身長は俺と同じくらいあり、目鼻立ちはきりっとして大人びている。暗くてしっかりとは確認できないが、彼女の髪の毛は少し赤みがかっていた。
「えっと、この学校の生徒……ですか?」
 彼女はうちの学校の制服を着ている。しかし、見覚えはない。
「私……、忘れ物を取りに来たんですけど。でもなんか怖くて、ここで動けなくなっちゃって……」
 彼女の声がわずかに震えている。この状況を誰かが見たら、俺の事を彼女を襲おうとしている変質者だと勘違いするかもしれない。
「俺も、いや、僕も忘れ物を取りに……。怪しいものではないです!」
 手に持った携帯を掲げる。
「あ、ほら、うちの学校のジャージ。これ」
 木の陰から体を出して、胸に刺繍された“清城高校”の文字を見せる。すると彼女も安心したのか、こちらに歩み寄ってきた。
「よかった。一人じゃ心細くて……!」
 彼女は鼻が俺の顔に当たろうかという距離まで詰めてきた。異性との不慣れな距離に胸がくすぐったくなる。
「えっと……、近くないですか……」
「だって、怖くて……あなたは大丈夫なんですか?」
 か細い声でそう言うと、彼女は俺の服の袖を軽く握った。
「ぼ、僕は別に、平気ですよ。ヨユーです」
 大嘘だ。思わず見栄を張ってしまった。
「もし迷惑でなければ学校の外まで、ついていってもいいですか……?」
 正直俺が誰かに助けてほしいくらいだったが、見栄を張った手前断るわけにもいかない。
「も、もちろんいいですとも。あ、でも忘れ物は?」
「忘れ物?」
 彼女が首をかしげる。俺も首をかしげた。
「さっき、忘れ物をとりに来たって……?」
「あ、そうですね。もういいんです。それは。怖いので、明日にします」
 美人の女性を連れて歩き始める。不安を感じつつも、どこかで俺は浮ついていた。
「そういえば、この学校の七不思議って知ってます?」
 俺の少し後ろを歩く彼女が唐突に言った。
「はい?」
「七不思議です。知ってます?」
「えっと、まぁ、いくつかを聞いたことくらいは」
 正直言えばそんな縁起でもない話はやめてほしかったが、さっき“怖くない”と言った以上止められない。
「その一つに『トイレの花子さん』があるんです」
「て、定番ですね」
 耳を塞ぎたくなるが、なんとかこらえる。
「こんな夜なんですって」
 彼女の声が急に熱を失い、無機質なものになる。
「はい……?」
「だから、こんな夜なんです」
 彼女の声が当たって、背筋に鳥肌が立つ。
「な、なにが……?」
「花子さんが出るの」
 もし仮に、この世界に幽霊がいたとしたら。うちの学校の七不思議が本当にあったとしたら。もし仮に、たった今後ろにいる少女が、その花子さんだったら……。
「……っ!」
 俺は後ろを振り返る。
 そこには、中庭と、桜と、さっきまでと同じ姿をした彼女。
「な……なんだ。何もないじゃないですか。脅かさないでくださいよ」
 ため息と共に、早口で彼女を責める。
「あ、もしかして、私がその花子さんだなんて思っちゃいましたか?」
「ははは、少しだけですけどね」
「やだなぁ、違いますよ」
 初めて見る、透き通った笑顔で彼女は言った。
「花子さんはあっちです」
 彼女は俺の後ろを指差した。それと同時に、扉が軋む音が響いた。そんな物は、ないはずの中庭で。
 ――ギィィィ……
 不快なほどに高く、それでいて不気味な音は、どこか遠くで鳴っているようにも、すぐ耳元で鳴っているようにも聞こえる。
 考えるよりも先に振り向く。
 何もない中庭の空間が裂け始めていた。目に見えない扉がそこには存在していた。風景がえぐりとられたかのように開いていき、向こう側が現れる。
 落書きされた木の壁、敷き詰められた細かいタイル、そしてその中央には和式の便器。
 そして、その中心に立つ、一人の少女。
「う……え……あ……?」
 少女といっても輪郭が少女の形をしているだけで、彼女自身は何の濁りもなく黒い。だが顔の目と口があるべき場所だけは、真っ白にくり抜かれていた。
「なんだこれ……」
 俺は後ずさる。くり抜かれた彼女の口が少しだけひしゃげて、笑ったように見えた。
 次の瞬間、少女の輪郭は歪み、黒い霧になった。
「うわぁ! なんだこれ! なんだこれ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
 涙を流しながら喚く俺に、黒い霧になった少女がすさまじい勢いで向かってきた。
「うわわぁ! ごめんなさい!」
 足がもつれて尻もちをつく。頭の上を黒い霧が掠めていった。目で追うと、黒い霧は勢いを落とすことなく、中庭の桜の木に蛇のように絡み付いた。
 その一本だけが強風にあおられたように幹ごと揺れる。轟音の合間に、小さな枝が折れる音が聞こえた。
「もうよい花子。桜は大切にせい」
 どこからか芯の通った声が響く。すると、黒い霧は最後に一周じっくりとねぶった後、木から離れた。真っ直ぐに俺の横を駆け抜け、トイレの中へと戻っていく。見えない扉が閉まりきろうかという時、霧はもう一度少女の形に戻った。
「なな、なんなんだよぉ、今の……」
「花子さん。さっきそう言うたであろう?」
 首を左右に振って声の主を探す。
「こっちだこっち」
 俺は空を見上げる。桜の木のてっぺんに彼女はいた。さっきまで一緒に歩いていたはずの彼女が、そこに浮かんでいる。
「驚かせて悪かった。などとは言わん。なにせそれがわしらの仕事だ」
 もう彼女は制服を着ていない。矢羽柄の袴を身にまとい、口を大きく左右に広げてニヤついている。
「わしの名はテンコ。この学校の七不思議を司っておるものだ」
 彼女の周りを、さっきまで咲き誇っていた桜の花びらが枝を離れて舞う。そして真っ黒な夜空に、花弁のピンク、彼女の赤い髪、袴の鮮やかな紫が浮かび上がる。それはまるで一枚の巨大な絵画のようで、圧倒された俺は呼吸が出来なかった。
「おめでとう、今この瞬間、この学校の新しい七不思議にお主は選ばれた」
 無数に舞う花びらの一つが、俺の顔にへばりついた。
 逃げなきゃ。ただそう思った。
 振り返らずに、意味不明な声を上げながら、ただただ家に走った。家に入り部屋に入りベッドに入り、布団を頭まで被って、俺はただただ朝が来るのを待った。























春の章









清城高校七不思議
  『トイレの花子さん』
 
 ずっと昔、一人の少女が校内で亡くなった。
 少女の魂の欠片は、死後もそこにとどまり続けた。
 少女を知る者がいなくなっても、学校が改築されても、魂の欠片はそこにとどまり続けた。
 やがて少女の魂はなぜ死んだのかも忘れ、何を考えていたかも忘れ、自らが人間の魂であることすらも忘れていった。

 そして、長い年月を経て、少女の魂の前で、ある生徒が話をした。人から聞いた怪談を披露した。それが『トイレの花子さん』だった。
 少女の魂はそれになることにした。
 全てを忘れた少女の魂は、その日からそれになることにした。

 春休みが明けた。俺は体調を崩すでもなく、悪夢を見るわけでもなく、いたって平和に春休みを過ごした。そうする内に、あの日のことは全て夢か幻だったのだと思うようになった。

 始業式当日。学校に足を踏み入れる時こそびくびくしていたが、心地のいい陽気と、普段と変わらない周りの様子に、だんだんと落ち着きが戻ってきた。
 そもそも年度の始めには、心配事が多すぎる。
 もし仮に、同じクラスに苦手な人がいたら。もし仮に、体育で俺が嘔吐したことを憶えているやつがいたら。昨日髪を切ったことを、高三デビューだと勘違いされたら!
 小さいころからクラスが変わるたび、人と出会うたび、曲がり角を目にするたびに、この先にあるものは、どんな形で俺に襲い掛かってくるのだろうと心配してきた。
 俺の頭の中は、入れ代わり立ち代わり出てくる心配事で満杯であり、幽霊の事まで気にする余裕はないのだ。

 始業式を終えると、新しい教室で新しい担任の、新しくないギャグ交じりの自己紹介を聞いた。三年生の教室は四階なので、窓から見える景色が去年と少し違う。窓からボウリング場の看板を眺めているうちに、先生からの連絡事項は終わっていた。
「じゃあ、昼休みだ。受験ガイダンスがあるから、間違えて帰るなよー」
 先生がそう言った途端、待ち構えていたかのようにクラスメイトが動き始めた。同じ部活の仲間や、去年から同じクラスだった人と机をくっつけて食事を始める。
 俺はパンの入った袋を手にし、談笑するグループの合間を縫って教室から出た。

 第二校舎に向かう。特別教室や、文科系の部室が集まっている校舎だ。その最上階、一番奥の部屋にくると、俺は振り返って周りに人がいない事を確認してから、足元の小窓を外した。
「よっと」
 自分の体をするりと滑り込ませると、教室の中から小窓を戻した。
 教室の半分が、無造作に積まれた椅子と机に占拠されている。年々生徒数が減っているこの学校では、物置代わりの空き教室がいくつか存在している。ここもその一つだ。俺以外は、滅多に人が入らないようで、かなり埃っぽい。

 一年生の頃は、一緒に昼食を食べるクラスメイトがいた。別の中学から来たサッカー部のクラスメイトが、入学式初日に声をかけてくれたのだ。それがきっかけで、一年間は、彼と彼の友達と一緒に昼休みを過ごしていた。
 しかし、二年に上がり、サッカー部の彼とはクラスが離れてしまった。それでも最初の昼休みに彼の元に向かっては見たが、彼は既に新しいクラスメイトと意気投合していた。
 もし仮に、新しいクラスに馴染めてないことを笑われたら。新しいクラスメイトに嫌われたら。別の教室から来てまで一緒に食べるほど仲が良くないと思われていたら。
 そんなことを考えて、結局その輪の中に入っていくことが出来なかった。
 しかし、一人で昼食をとっていても、俺の心配性が休むことはない。頭の中で俺自身の声が次々とこだまする。こんな俺を見て、周りの人は哀れに思わないだろうか! と一人で昼食をとることもままならない。
 そこで俺は校内を巡り、この空き教室を見つけた。
 それからずっと、ここで昼を過ごしてきた。一年生の頃食事を共にした彼は、俺が新しいクラスの友達と昼休みを過ごしていると思い、新しいクラスメイトは、前のクラスの友人とを過ごしていると思っていただろう。そして今年もそうなるはずだ。

 机に積まれた椅子の一つを、窓際に持っていく。眠たくなりそうな暖かい日差しを浴びながら、窓から中庭を見下ろす。いくつかあるベンチは、昼食をとる生徒達で全て埋まっていた。
「下から顔を見られると、やっかいなことになるのではないか?」
 突如後ろから声が聞こえた。全身が硬直して、手に持っていた餡パンを握りつぶす。その声が卒業式の夜に出会った女の声と、全く一緒だったからだ。
「嘘だろ……」 
 固まった首を無理やり回して、俺は振り向く。机に乗せられた椅子の一つに、あの日と同じ袴を着た女が座っていた。
「嘘? なにがじゃ?」
 彼女は椅子から立ち上がると、落ち葉の様なスピードでゆっくりと床に降りた。着地の際に足元の埃が舞うだけで、音は一切しない。
「嘘だ嘘だ嘘だ!」
 俺は立ち上がりながら、椅子に自分の足を絡ませて転んだ。
「はっはっは! 出会った時同様、いい反応をしおる!」
 彼女はあの日と同じ、矢羽柄の和服を着ている。袴で強調された胸の膨らみが、堂々とした直立姿勢によってさらに大きく見えた。
「くんな! こっち、くんないで! こないで!」
「日本語がおかしくなっておるぞ。転んだ拍子にどこか打ったか?」
「あ、あくりょうたいさん!」
 俺は食べかけのパンを投げつける。しかし、パンは音もなく彼女の体をすり抜けて、床に落ちた。
「悪霊退散と言いつつ、物理攻撃とはな。そんなもの痛くもかゆくも気持ちよくもないわ」
「マジかよ……?」
「マジじゃ。わしは幻覚でも夢でもないぞ。まぎれもなく幽霊! とりあえず落ち着いて話を聞くがよい」
 彼女は胡坐をかいて、パシンと膝を打った。
 俺の頭の中では、呪い殺されるかも! 頭がおかしくなったのかも! いや、テレビのドッキリかも! と思考が渦巻いていた。

「こんにちは、俺……いや僕は、『中崎 夕也』です。えっと、三年B組です」
 口調やテンションを図りかねたまま、自己紹介をした。俺が正座をしているのは礼儀の為でなく、恐怖で身が縮こまっているからだ。
「あー敬語などよいよい! 気楽にしろ」
 彼女はぶらぶらと手を揺らし、あぐらを組んでいた足を解く。その途端、彼女の体はふわりと宙に浮いた。
「わしは『テンコ』! この学校の七不思議の一つであり、七不思議を司る者。『テンコ』じゃ!」
 彼女は勢いよく自分の胸を平手で叩いた。
「はぁ、七不思議……」
「そう七不思議じゃ」
 彼女は堂々と答えたが、そんなこと信じられるわけがない。夢ではないかと試しに足をつねってみる。
「痛っ!」
「足が痺れたか? よいぞ、楽な体勢で」
「いや、大丈夫です……。で、七不思議のテンコさんでしたっけ? そんな方が僕に何の用ですか……?」
「だから敬語はやめい。話しにくいわ」
「そう言われても……」
 もし仮に、目の前の女性が本当に幽霊だとしたら、軽々にタメ口は聞けない。機嫌を損ねて呪い殺されたらたまったもんではない。
「用と言うのはな。この前会った時にも言うたが、お主が七不思議の一員として選ばれたという報告をしに来たのじゃ!」
 テンコは早口で「おめでとう!」と付け足し拍手をした。
「言ってることの意味が分からないんですが……」
「今言った事以上のことはない。説明終わり!」
「終わらないでください!」
 勝手な振る舞いと言葉に口調が荒くなる。そんな俺の反応を見て、彼女は満足そうに笑った。
「去年まで、この学校には七不思議がしっかりと七つあった」
 テンコは両手でチョキとパーを作る。
「しかし、そのうちの一つが旅に出ての」
「旅?」
「ほら理科室に骸骨の模型があったじゃろ? あれが撤去されて今年からよその学校に行くことになったんじゃ。それで七不思議の席が一つ空いたわけだな」
 テンコは指を一つ折り曲げた。
「理科室の骸骨……」
 そういえば、夜な夜な骸骨の笑い声が聞こえるという噂を、聞いたことがあったような気がする。
「笑い過ぎて顎関節症になるとは。職業病というやつかの」
 骸骨に病気も何もあるのだろうか。疑問に思う俺を無視して、テンコは話を続ける。
「それで、七不思議を司る役目のわしは、その空席を埋めねばならなくなったわけだ」
「六個のままでやっていけばいいような気も……」
 六不思議という響きは悪いが、俺たち人間にとってみれば六つも七つも変わらない。
「わしも出来る事ならそうしたい。新しく不思議を登録するというのは割と面倒なことなのでな。だがしかし、不思議は七つなければならない。それが決まりじゃ。いや、決まりというか、摂理といった方が正しいか」
 テンコは首をすくめた。
「えっと、テンコさんは、ドッキリとか、CGではないんですよね?」
「疑り深いの。そこまでいくと心配性と言うより、心配病じゃの。わしはまぎれもなく幽霊じゃ!」
「そう言われて、すぐに信じられる程、僕の頭は柔軟ではありません」
「わしは嘘など言わん。幽霊一の正直者だと自負しておる」
 正直者だと自分で名乗ってしまうこと程、正直者でないことをアピールする方法はないだろう。
 だがしかし、ふわりと空中に浮く目の前の彼女、卒業式のあの夜見た光景を考えると、彼女が幽霊であること以外、自分を納得させる解釈がないのも事実だった。
「だとすると、代わりの七不思議が、なんでよりによって僕なんですか?」
「お主があの日、この学校にいたからじゃ」
 テンコはさらりと答えた。
「あの日って、卒業式の日?」
 俺が学校に忍び込んだ日である。
「そう。七不思議の引き継ぎは卒業式の夜、ぴったり深夜零時に行われる。一瞬たりとも七不思議に欠番ができないようにな」
 テンコは空中でくるりとまわる。袴の袖が、ひらりと彼女の軌跡を描いた。
「普通は既にこの世を去った魂や、怨念なんかを見つけてくるんじゃがな。あの日あの瞬間、ちょうどいい魂が他に見つからなかったのじゃ」
「それで俺の魂を……?」
「あぁ。助かったぞ。絶妙なタイミングじゃったわ」
「ん? じゃあ、まさか俺って今死んでるの?」
「はっはっは! 流石に本人の許可なく魂を奪ったりせんよ」
 俺の怯えた顔がおかしかったのか、テンコは奥歯が見えるほど大きく口を開けて笑った。
「お主の魂を、仮の七不思議として登録させてもらっただけじゃ」
「登録って……俺生きてるんですけど」
「魂は魂じゃ。肉体に入ってようが、入っていまいが関係はない。どこにあっても魂は魂。肉体は肉体。どちらかが、どちらかの、どちらかたる最低条件ではない」
 テンコは俺の近くに飛んできて、袴の袂からくすんだ和紙を取り出した。筒状になったそれを、俺の目の前に広げる。ミミズのような文字で書かれており、読み解くのに時間がかかったが、大体こんなふうに記されていた。

『清城高校七不思議』
一、テンコさん
二、トイレの花子さん
三、零界の吐息
四、十三階段
五、赤目の鳥
六、呪いのメール
七、三年B組 中崎くん(仮)

 記された怪談のいくつかは噂で聞いたことのあるものだった。その中に自分の名前が書き足されているのは、気持ちのいいものではない。
「というか、仮って……」
「勝手な事は承知しておる。だがさっきも言ったように、七不思議の引き継ぎは卒業式の夜にしか行えない。今年一年は、この学校の七不思議として籍を置いてもらうぞ」
 当たり前のように言ってのけるテンコに、俺は思わず声を荒げて言い返す。
「嫌だよ! そもそも俺なんて、なんにも不思議じゃないし!」
「生きているのに七不思議! それはそれで充分不思議な存在ではないか!」
「そんなのでいいのかよ」
 頭の中でテンコの話を反芻する。荒唐無稽な話なので、理解には時間を要する。
「七不思議になることで、俺に不利益は?」
「確かなかったはず!」
「いやいや! そこははっきりしてください!」
「ない! そんなものはない!」
「だんだんと体が衰弱したりは?」
「しない」
「悪霊が寄り憑いたりは?」
「せん!」
「普通に生活していいわけ? 卒業式に引き継ぎとやらをするまで」
「そういうことじゃ。タイタニックのような大船に乗ったつもりでおればよい!」
「それ例えとして成立してない!」
「小さいことは気にするな! はっはっは!」
 テンコは力強く笑った。彼女の言葉は真っ直ぐで、なぜか説得力がある。
「適当だな……」
 彼女の幽霊らしからぬ堂々とした様子と性格に、自分の中の彼女への恐怖が、最初よりも薄れていることに気が付いた。
「もちろん、タダでとは言わんぞ! 一年間七不思議になってくれている間、見返りは用意する」
「見返り?」
「まぁ、これはおいおい説明してやる。さ、いけ。そろそろ授業が始まるぞ」
 テンコがそう言うと、校内に予鈴が鳴り響いた。空き教室の壊れかけたスピーカーからも、調子の外れたチャイムが聞こえる。
「あ、そうじゃ、そうじゃ」
「なんでしょう? まだ何か?」
「お主が望むなら、もちろん来年以降も七不思議を続けてもらっていいからな。七不思議入りを望む魂があるなら、その意思にわしは立場上逆らえん」
「お断りします。そもそも俺は赤点さえとらなきゃ卒業するんで。学校にいないやつを七不思議にしてもしょうがないでしょ」
「魂を抜いて、学校に閉じ込めればなんとかなるぞ」
「怖いわ!」
 溶けかけていた警戒心が、俺の中でまた強く固まった。