「我輩は今、旅をしている最中でな。〝十三番〟という男を探している」
 十三番は名前じゃなくて番号だ。
 突っ込みたかったが我慢した。何せ相手は魔女だ。俺の常識が通用するわけもない。
 俺は魔女の手から器を受け取り、黙ってスープを注いだ。
「十三番は我輩の同胞でな。〈弓月の森〉で共に魔術の研究をしていたのだが、少々やっかいな仕事を担って穴ぐらを出たのだ。以来、待てど暮らせど知らせがない。仕方ないから奴の陰湿で粘っこい魔力を辿ってここまで歩いてきたのだが……」
 〈弓月の森〉というと、大陸のはずれにある〝王を持たない森〟の呼び名だ。魔女にゆかりの深い土地で、どの国も不気味がって自国の領土だと主張しなかった結果、空白地帯となっている。教会による魔女狩りの手が何度となく入っているはずだが……その〈弓月の森〉の魔女が堂々と出歩いているところを見ると、教会の魔女狩り部隊は無能ぞろいらしい。
「この国には魔女狩りがあるだろう」
「そんなもん世界中にあるだろうが」
 表情を曇らせた魔女に、俺は乱暴に吐き捨てた。
「他と比べても激し過ぎる。我輩、歩いているだけで三度も焼かれそうになった」
 ああ、と俺は頷いた。現在ウェニアス王国が抱えている、ちょっとした問題の話だ。獣堕ちの傭兵をかき集めてでも解決したいちょっとした問題――それが魔女問題だ。
「魔女が反乱を起こしたって話だからな。そりゃあ、魔女狩りだって激化するだろうよ」
「魔女の反乱?」
 聞き返して、魔女は目を瞬いた。
「……少し時代錯誤じゃないか?」
 魔女のお前がそれを言うのかよ。内心突っ込んだが、魔女は心底不思議そうだ。
 まあ――実際、時代錯誤だ。魔女の大規模な反乱なんて、昔話でしか聞いた事がない。
「俺も魔女の反乱なんぞ今更過ぎて眉唾だと思ってたが……俺を襲った追い剥ぎ魔女を見る限り、事実なんだろうよ。旅人を襲う魔女なんざ、どう考えても異常だ」
 言ってしまえば、他の国で行われている魔女狩りは〝残党狩り〟といった趣が強い。
 五百年前、魔女と教会の間で戦争があったという。その戦争で敗北し、各地にひっそりと姿を隠して生活を送るようになった魔女達を、世界は悪と定めて狩り続けているのだ。
 だが――五百年間だ。さすがに、飽きる。
 もちろん、わざわざ表に出てきて災厄をばら撒くような魔女は狩られるが、隠れ暮らしているような地味な魔女を狩ったところで今更誰も喜ばないし、誰も喜ばなければ、国としても教会としてもやる価値がない。そもそも教会にとって、魔女狩りとはその力と権威を示すための手段でしかなかったのだ。悪がおらねば正義はならず、正義がならねば人は神を信じない。ならば魔女を悪にしよう――と、つまりはそういう事である。
 国からの要請があれば、法外な寄付金と引き換えに教会騎士団も動くだろうが――。
 ウェニアスはそれをせず、教会は傍観を決め込んだ。その結果、ウェニアスの魔女達は好き勝手に暴れまくり、国はそれを鎮圧しようと躍起になっている。
「実際、ウェニアスに入国してから魔女がらみの物騒な事件の噂には事かかねぇ。魔女が村を占領して、村人を奴隷扱いってのも珍しい話じゃないらしい。厄介な仕事ってのは、まさかその反乱の手伝いじゃねぇだろうな。知らないふりしてるだけで、お前もその加勢に来たんじゃねぇのか?」
 だとしたら、ウェニアスがこの魔女にとって危険なのは自業自得もはなはだしい。しかし魔女は俺の言葉を聞くなり、恐れおののいたように青ざめた。
「そんな面倒臭い事をするわけがないだろう……! 反乱が成功して国を取ってしまったら、その国を統治しなければいけないんだぞ? 我輩、面倒臭いのは大嫌いだ。それにどうせ支配するのなら、もっと暗くて狭くて蜘蛛がたくさんいるような国がいい」
 ねえよ、そんな不気味な国。一瞬、絶世の美女が大量の蜘蛛にたかられている姿を想像し、俺は心底後悔した。折角の飯が不味く――。あれ? 鍋がねぇ。
 俺は抱えていたはずの鍋が消えている事に気が付いて、はっとして魔女を見た。いつの間にやら鍋を手に、せかせかと木杓子を動かしている。
「て、てめぇいつの間に――どうやって!」
「我輩は魔女だぞ、獣の戦士よ。その気になれば君を一瞬で丸裸に剥き、毛を剃り上げる事だってたやすい事だ。気を逸らしたのが運の尽き、このスープは我輩のだ」
「こ、のアマ……!」
 馬鹿にされた気がして低く唸るも、鍋はすでに魔女の手の中で、取り返すすべはない。
 俺は仕方なく、手の中に残った器からスープをすすった。
「……で? そんじゃあ、厄介な仕事ってのは?」
「探し物だ。よからぬ輩に本を一冊盗まれた。十三番はそれを取り戻しに向かったのだ」
「本だぁ?」
「世界に一冊しかない貴重なものでな。あれを悪用されると、少々まずい事になる」
「まずい事っつうと?」
 魔女は一瞬言葉を止めた。鍋の中身を食べる手を止め、妙に静かな声で言う。
 たった、一言。
「世界が滅ぶ」
「……世界が、なんだって?」
「だから滅ぶと」
 俺はあくびを噛み殺した。
「そいつぁすげえ。恐れ入った。怖すぎて泣きそうだ」
「信じないにしてももう少しマシな態度は取れないのか? 我輩とて傷つくぞ」
「本一冊で世界が滅ぶって言われて即座に信じてびびるほど純情でもないんでな」
「本一冊……? 馬鹿を言うな。一冊どころか、その一頁で十二分なほど滅ぶ」
 魔女はあくまで淡々として言った。恐ろしげな声を出すわけでも、大仰に騒ぎ立てるでもなく、まるで事実をただ述べているだけだとでも言うような雰囲気が、逆にその言葉に奇妙な真実味を与えている。真実味を与えてはいるが――到底信じられる話ではなかった。
 実際、世界はこうして無事でいる。その本がいつ盗まれたのかは知らないが、魔女の口ぶりから察するに、本を探しに出たと言う十三番とやらは長らく戻っていないのだろう。
 本当にその本に世界を滅ぼす力があるのなら、とっくに滅びているはずだ。
「まあ、仮にそれが事実だとしてだ――それと俺がどう関係ある? 俺は、〝俺に何の用だ〟と聞いたんだ。別にお前の旅の理由なんざ聞いちゃいねぇ」
「なんだ、分からないのか?」
「あいにく鈍い性質でな」
「つまり、我輩は本を取り戻さねばならず、どうやらそれはこの国にあるようだ。しかしこの国において、魔女の一人歩きは何かと不便で物騒だ。追い回されるのは疲れるしな」
 だから、と魔女は俺を見る。そこでようやく俺にも察しがついた。
「君、我輩の護衛になれ」
「やなこった!」
 即答した。全力で。
「見事な即断だな……いっそ清々しいぞ」
「説明してやろうか? 俺はな、魔女が大――ッ嫌いなんだよ」
「まあ待て、無論ただでとは言わない。我輩は魔女だ。魔女とは悪魔に生贄を捧げ、奇跡を起こす者――契約を結ぶ上で相応の代償を支払うのは魔術の基本理念だ」
「報酬どうこうの話じゃねぇんだよ。俺は魔女の絶滅を願ってて、その手伝いをしようと思ってわざわざこの国に来たんだ。魔女がいない国があるなら、俺の人生も少しはマシになるだろうからな。そんな魔女の護衛をするなんざ本末転倒もいいとこだ」
「目の前に魔女がいるのにズバズバ言う男だな……なぜそこまで魔女を嫌う」
「あのな……俺の面見て言ってんのか?」
「面?」
 魔女は俺の顔を見る。それからくるりと首を傾げて、
「男前だな。我輩は嫌いじゃないぞ」
「嫌味か!」
「嫌味なものか。見事な毛並みに、鋭い瞳。頑健な顎――完璧な猛獣の美しさだ。それに毛皮の下に隠れた人間の顔も、我輩はよいと思う」
 毛皮の下の――顔? 俺は自分の顔を触った。だがそこにはいつも通りに獣の顔がある。
「……俺の顔が分かるのか?」
「無論だとも。それが見えずして魔女は名乗れない。獣堕ち獣堕ちと何を言っているのかと思ったが、その姿の事を言っていたのか。それは〝獣降ろしの呪術返り〟だ」
「じゅ……呪術返り?」
「魔女が人間に術をかけ、獣の力を降ろした結果、人間は強靭な力を持つ獣の戦士へと姿を変える。これが〝獣降ろし〟だ。はるか千年の昔、いくつもの強国が戦いに明け暮れていた時代には、百万の獣の戦士が生み出されたと聞いている」
「ま、魔女が獣堕ちを作ったって事か!?」
「少し違うな。呪術と呪術返りは、似ているようで大きく違うものだ。呪術は自発的な意思で行われるが、呪術返りは機械的な連鎖の結果でしかない」
「悪いが何を言ってるのかさっぱりわからん」
 俺が顔を顰めると、魔女はできの悪い生徒に対するような、実に楽しそうな声で言った。
「説明してやろう。――その石を取ってくれ」
 魔女は俺のそばに転がっていた平たい小石を指差した。言われた通りに渡すと、魔女は手の中で軽く小石を踊らせる。
「この石を魔術としよう。そして魔女である我輩が、これを投げる」
 投げた。その細い肩からは想像もつかない剛速球だ。それが魔女の背後にある木に当たり、跳ね返って魔女に戻る。その石を、あろう事か魔女が避けた。結果、石は俺の頭に直撃する。わりと冗談にならない音がした。俺が獣堕ちじゃなかったら流血沙汰だろう。
「……いてぇな」
 低く唸った俺に対して、魔女は悪びれもせず、ひょいと肩を竦めてみせた。
「我輩が狙ったのは木だ。そして石は木に跳ね返され、我輩が取らなかった。結果、その導線上にいる君に当たった。魔術にもこれと同じ事が起こる」
「木に跳ね返って俺に当たったって?」
「そうだ。獣の戦士が死ぬと獣の魂は魔女に戻るが、その魔女が死んでいた場合、戻る場所を失った獣の魂は〝魔術を行った魔女に一番近い存在〟へと戻るのだ。大体は子孫だな。そして獣の魂は女の腹に宿り、獣の戦士が産まれる。これが君の言う獣堕ちだ」
「つまり俺の血縁に魔女がいて、その魔女が死んだせいで俺が獣堕ちになって事か? なんだそりゃ、聞いた事ねぇぞ!」
「周知されていなくても事実は事実。我輩は魔女だ。魔術の事で嘘は言わない」
 だが世の中の見解は、教会の言う「前世の悪事がその身に悪魔を宿し、獣の姿になった」というものだ。故に獣堕ちした人間は凶暴にして好戦的で、日々戦いに明け暮れるらしい。
 平穏な毎日を心底から望む俺からすれば、巫山戯るな滅びろ教会と言いたいが、これをほとんどの人間が信じているのだ。結果その評価はそのまま俺に突き刺さる。
「しかし……俺の血縁に魔女なんざ――」
「魔女は基本的にはぐれ者だ。くわえて極めて長く生きる。過去に身内に魔女がいた――などという事を忘れた頃に、呪術はひょいと戻ってくるものだ」
 空になってしまったスープの鍋を物悲しそうに見つめながら、魔女は一つ溜息を落とす。
「――戻りたいのか? 人間に」
 魔女は聞いた。
「――戻れるのか? 人間に」
 俺は聞き返す。ついと、魔女が唇に笑みを刻んだ。
「戻せるとも、簡単にな。――どうする? 傭兵。それを対価に、我輩に従うか?」
 俺の夢はどこかの田舎に酒場を開き、かわいい女房を見つけて平穏に暮らす事だ。
 もしこの魔女の言葉が真実なら、とうに諦めた普通の人間として人生が手に入る。フードで顔を隠して歩く必要も、魔女から逃げる必要も、娼婦に怯えられる必要もないごく普通の人生が。だが、本当に信じていいものか――。何せ相手は魔女である。
「……俺みたいな人間の首は、魔女にとっちゃ価値のあるもんなんだろ……?」
「魅力的だからと言って、欲しがるとも限らないだろう。我輩は特に無欲な魔女だからな。何より今は、その首よりも君が欲しい。手足がなければ我輩の護衛は勤まらないだろう」
「そう言って油断させといて、ばっさり首を落とすつもりじゃねぇのかよ」
「馬鹿を言うな。ならばとっくにそうしているし、わざわざ護衛などと言い出さない」
 それは、確かにそうかもしれない。俺が魔女と対峙して、いまだに無事という事実そのものが、この魔女が信頼に足る――とは言わないまでも、ともかくそこまで疑ってかかるような存在ではない証拠に思えた。
 信じたいという思いは、ある。だが、本当に? もし、嘘ならば。
 何せ相手は魔女である。
「……契約を、してやろうか?」
 唐突に魔女が言った。契約? と、俺は間抜けに聞き返す。
「魔女の契約、血判状だ。君が我輩の護衛となれば、我輩は君を人間にする。こういう契約を、互いの血をもって書面に記す。さすれば契約を破った者は例外なく消滅する」
「しょ……消滅……って、お前……」
 たじろいだ俺とは対照的に、魔女は余裕たっぷりに微笑んだ。
「そう怯える事はない。契約を破らなければいいのだ。ほら手をよこせ」
 何、と俺が言う間もなく、魔女の手が伸びてきて俺の手を取った。
 柔らかな女の手だ。思わず、どきりとした。
 そればかりか魔女は俺の指に唇を近づけ、指の腹あたりを躊躇なく口に含んだ。数少ない無毛の皮膚にぬるりとした舌が這い、俺は全身の毛が逆立つような感覚に身震いする。
「お、おい!」
 その瞬間、ぶつりと皮膚の弾ける感触がして俺は痛みに小さく呻いた。魔女は俺の指から滴る血を見て満足げに頷き、自分の指も同じように噛み切る。
「互いの血を混ぜたインクで、鏡文字の契約書を作る。これを燃やせば契約は完了だ。どちらかが死ぬか、双方が契約の完了、あるいは放棄を明確に認めない限り、我輩と君は契約に縛られる。あいにくと紙がないが――まあ、布でいいだろう」
 言うなり、魔女はなんのためらいもなくローブの裾を引き裂いた。すでに朽ちかけのぼろ切れに近かったローブが、これでますますぼろ切れに近くなる。俺はぽたぽたと血の流れる自分の手と、同じく赤い血を流す魔女の手を、どこか妙に冷めた気持ちで眺めた。
「なあ……魔女さんよ。なんで俺を選ぶ? 隠れみのが必要なだけなら、もっと怪しまれないのを選んだ方がいいんじゃねえか? 獣堕ちと一緒にいたら、悪目立ちするだけだぜ?」
「隠れみのにするならば、供が悪目立ちしていた方が我輩が目立たずに済むだろう」
 けろりとして、魔女が言った。なるほど、確かにそうかもしれない。獣堕ちの男と魔女が一緒に歩いていても、目に入るのは無駄に目を引く俺であって魔女じゃない。
「それに、君は我輩の穴ぐらの臭いがする」
「穴ぐらの臭いだぁ?」
「そう。〈弓月の森〉にある広大な鍾乳洞でな。暗くてじめっとしていて居心地がいい。それを我輩達は穴ぐらと呼ぶのだ。魔女の隠れ家の隠語のようなものだな」
 俺は自分の腕に鼻を近づけ、鼻を軽く蠢かせた。森の中を転げ回ったせいで、泥と潰れた草の臭いが入り交じっている。だが何より鼻に付くのは、どうしようもない獣の臭いだ。
「……家畜でも飼ってたのか?」
「家畜……? そうだな、いろいろいたぞ。それに蛇と蜘蛛がたくさんだ」
 家畜に、蛇に、蜘蛛ときた。――近いうちに、宿を借りて湯を浴びよう。
 心に誓った途端、何か妙に笑えてきた。
 魔女だの、血判状だの、消滅だのと話している最中に、風呂の事を考える時点で答えは出ている。最初から、この女が俺に危害を加える事はないと俺はとっくに信じている。本能で信じているのに、理性で疑うなんて馬鹿げた話だった。この本能だけで、俺は今までいくつもの危険を察知し、乗り切って来たのだ。
 俺はわしわしと鼻面をなで、魔女の手からぼろ切れを取り上げた。
「あ、こら! まだ契約は――」
 終わっていないぞ、と文句を言おうとする魔女の声を無視して、俺はびりびりとぼろ切れを裂いて風に流した。魔女が抗議の悲鳴を上げる。
「あー! せ、せっかく書いたのに何をする! ぼろ切れに血文字を書くのがどれだけ難しいと思ってるんだ!」
「書かなくていいんだよ、そんな怪しげなもん! おら、ちょっと手ぇかせ」
 言って、今度は俺が魔女の手を取った。――綺麗な手だ。そして、握り潰せそうなほど小さい。そんな魔女の指先から、ぽたと血が滴った。噛み切った傷から溢れた血だ。
 その傷と俺の傷とを重ね合わせて、俺はお互いの血を混ぜる。
 途端に、魔女は目を輝かせて俺を見た。
「知っているぞ。血の契りだな?」
 白い頬を紅潮させ、魔女はどこか興奮したように言う。「こうして指を組むのだろう」と笑って、俺の指に指を絡め、立てた親指の腹同士を一層強く付き合わせた。
「魔女の血判状よりゃ随分マシだろう。これが人間流で、傭兵流だ」
 力強く絡む指の感覚が落ち着かなくて、俺はぱっと魔女の指から手を離した。血の混ざった部分が、妙に熱を持っている。魔女の血と獣堕ちの血が混じったら、何か妙な事でも起きるんじゃないかと今更になってふと、思う。だが、血に塗れた親指を何か大切な証のように握りこむ魔女の様子を見ているとどうでもよくなってしまった。
「誓うぞ傭兵、安心しろ。我輩は決して君の首を落したりはしない」
「ああ、そーかよ。だといいけどな。それで……魔女さんよ。お前――名前は?」
「我輩はゼロだ」
 ゼロは名前ではなくて数字だ。突っ込もうかと思ったがやめておいた。
 それきり会話が止まってしまい、俺は探るように魔女を見る。
「俺の名前は……聞かねぇのか?」
 魔女は眠たげに肩を竦めた。
「興味がない」
「はぁ?」
「我輩が名を呼ぶのは我輩の眷属――下僕のみだ。名は魔女にとって重要なもの。我輩に名を知られてみろ、たちまち君をその名で縛り、決して逆らえない下僕にしてしまうぞ」
 にい、と。フードの下で魔女が口角を釣り上げた。取って食うぞと言うように両手を掲げ、襲いかかる仕草が子供のようであり、子供を脅かす老婆のようでもある。
「そいつぁ……究極に魔女っぽいな」
「そうとも、我輩は究極の魔女だ」
 俺が笑うと、恐ろしいだろう、と魔女も笑う。
 そうして、俺と魔女との奇妙な関係が始まった。俺も魔女もお互いに名前を呼ばないし、そもそも知らない。だが、どうせたかだか月の一めぐり程度の関係だろう。
 すぐに終わる関係としては、丁度いい距離感なのかもしれなかった。