三章 ゼロの魔術師団

 

 
「僕は〈ゼロの魔術師団〉で魔法を覚えたんだ」
 アルバスと名乗った少年は、焼けた肉を口に押し込みながらそう切り出した。
 名乗った、と言っても本名ではなく偽名らしい。なんのための偽名だよと思ったが、魔術を操る連中は本当の名前を後生大事に隠し持つものなのだと、ゼロとアルバスにそろって説明されては納得するしかない。
「〈ゼロの魔術師団〉って……まるでギルドか傭兵団みてぇな呼び名だな」
「職業で結束してるって意味では、ギルドと同じようなものかもね。〈ゼロの魔術師団〉に入る事が魔法を学ぶ絶対条件なんだ。決まりもあるし、罰則もある」
 言いながら、アルバスは服の襟を引き下げて赤い宝石の輝くチョーカーを見せる。
 値打ちもんだな、と。金に汚い傭兵の性でつい思った。
「これが〈ゼロの魔術師団〉の証。正式に入団が許されるともらえる、〝あの方〟への忠誠の証なんだ。〈ゼロの魔術師団〉の全員が、魔女の血判状で忠誠の誓いを立ててる」
「〝あの方〟ってのは?」
「十年前にウェニアスに〝魔法〟を広めて、〈ゼロの魔術師団〉を作った人だよ。誰も名前も知らないし、お姿を見た事もないから、みんな〝あの方〟って呼んでるんだ」
 という事は、〝あの方〟とやらが十年前に〈弓月の森〉で【ゼロの書】を奪い、ウェニアスに持ち込んで〈ゼロの魔術師団〉を作ったのだろう。何が目的かは知らないが、魔女の反乱が起きているウェニアスの現状を考えれば、あまり穏やかな目的ではなさそうだ。
「〝あの方〟は高潔で、誇り高くて、人を差別しないんだ。魔女でも、普通の人間でも、才能さえあれば誰にでも魔法を教えてくれて、魔法はどんどんこの国に広がっていった。実際、〈ゼロの魔術師団〉には元浮浪者や孤児なんかがたくさんいる」
 それで、とアルバスは言葉を繋いだ。
「その魔法について書いてあるのが、【ゼロの書】。〈ゼロの魔術師団〉の聖典になってる。十年前からずっとね。だから僕はてっきり、〝あの方〟が書いた本だとばっかり……」
 アルバスに視線を向けられて、ゼロは軽く肩を竦めた。
「表紙は黒檀で、蝶番は金だろう? ならばそれは我輩の本で間違いない」
 ゼロの答えは淀みない。――どうやら、盗まれたのだと伝える気はないようだ。賢明な判断だろう。自分達が聖典にしている本を盗品だと言われたら、誰だって反発する。現状でさえ、アルバスはゼロを信じるべきなのか、それとも偽者めと罵るべきなのか判断をつけかねているようだ。さすがに、実力が桁違いな事は察しがついているようだが――。
「――信じられないか?」
 アルバスはうつむき、ゆるゆると頭を振る。
「分かんない……けど、ゼロは魔法を使うし……もし本当にそうなら……」
 アルバスはまっすぐにゼロを見た。
「ゼロは僕達の仲間……だよね?」
 照れたように笑うアルバスに、ゼロは少しだけ微笑む。肯定も、否定もしなかった。そしてアルバスは、沈黙を勝手に肯定とみなして満足そうに頷く。
「で? その〈ゼロの魔術師団〉が、なんだって国を相手に戦争をやらかしてるわけだ?」
「……我慢ができなくなったからだよ」
 すっと、アルバスの表情に影がさした。〈ゼロの魔術師団〉や〝あの方〟について語るときの快活さとはまるで違う、ひどく冷たい雰囲気だ。
「ウェニアスには昔から、たくさんの魔女がいる。薬を作ったり、占いしたりして、村の人たちとも交流があったんだ。薬や占いのお礼に、パンや甘いお菓子もらったりしてさ」
 いわゆる、魔女と人間との理想的な共存関係だ。難病を治す魔女の薬やら、失せ物を探す占いの話は俺も聞いた事がある。白魔女とか呼ばれていて、そういった魔女達は、村の人間が魔女狩りから守る事すらあるらしい。
「この国の魔女は、そもそも人間と共存するための魔術しか知らなかった。けど結局人間にとって魔女は悪の象徴で、何か都合の悪い事が起これば全部魔女の責任にして狩り殺す。そんな世の中に我慢できなくなったんだよ。何も悪い事なんかしてないのに、事あるごとに魔女を殺せってさ! だから〈ゼロの魔術師団〉が立ち上がったんだ!」
 アルバスは吐き捨てた。その金色の瞳には明らかな怒りと、悔しさの色が強く滲んでいる。まるで、人間達を信じていたのに裏切られたとでも言うようだ。
「何もやってないって事はねぇだろうよ。魔女狩りが活発になったそもそもの原因だって、魔女が疫病を流行らせたからだって聞いてるぜ? その魔女を火あぶりにしたら、怒り狂った魔女の集団が村を一つ焼き払ったってな」
 〈報復の狂宴〉と呼ばれるその事件が、この国で起こっている魔女狩りの発端だと聞いている。ならば魔女狩りは自業自得だ。魔女が疫病を流行らせたくせに、それで殺されたからと言って人間達に報復しては、大規模な魔女狩りが起こって当然だろう。
 そう言外に言った俺に、当然アルバスは食ってかかってきた。
「――疫病? その疫病を魔女が流行らせた証拠が、どこにあるっていうわけ?」
「知らねぇよ。俺は噂を聞いただけだからな。だが、証拠があったから焼かれたんだろ」
「何も知らないくせに――適当な事言うな馬鹿! 証拠なんてなかった。ただ、疫病が流行った村の近くに魔女が暮らしてただけだ! なのにあいつらは、たった一人の魔女をよってたかって捕まえて火あぶりにしたんだぞ! そんな奴ら、村ごと焼かれて当然だ!」
「村ごと焼かれて当然……ね」
 怒声を上げたアルバスに、俺はわざとらしく嘲りの表情を浮かべて見せた。
「つまり――やったんだろ? 報復だろうが何だろうが、村を一つ潰して村人全員を虐殺したんだろうが。だったら、何も悪い事なんかしてないって話にゃならねえやな。大規模な魔女狩りが起こる原因を、この国の魔女達は確かに作ったわけだ」
「それは……! けど……じゃあ、殺されても黙ってればよかったって言うのかよ!」
「別にそうは言わねぇさ。だが、魔女を殺した報復に、村を一つ焼いたんだろう? たった一人の魔女に対して村一つ――なるほど。そいつぁ随分対等な報復だ」
 俺が嗤うと、アルバスは明らかに動揺して金色の瞳を揺らめかせた。
「それは……だって……!」
「聞くがよ、坊主。死んだ村人全員が、赤ん坊にいたるまで魔女狩りに加担したのか? ただその村に住んでたってだけで報復の対象か。無実の村人はどうなる? たまたまいただけの村人は? それとも、ちゃんと選んで殺したのか? 違うだろうよ」
「それは……!」
「無差別に村人を殺したお前らの報復が正当なんだってんなら、その報復に無差別に魔女を狩るのだって正当だろうよ。結果始まるのは報復の報復で、つまり正当な戦争だ。魔女と、それ以外のな。発端が人間だろうと、魔女だろうと――小競り合いを戦争にした原因は〈報復の狂宴〉だ。お前ら魔女が戦争を起こしたんだよ。その事実は間違いねぇ」
 アルバスは唇を引き結び、憎々しげに俺を睨んだ。――少し、言い過ぎたか? 魔術師とは言っても相手はガキだ。
「だって……ソーレナは村を救おうとしたんだ……!」
 目に溜まった涙を必死に流すまいとしながら、アルバスは絞り出すように言った。
「ソーレナ?」
 俺が聞き返すと、アルバスは思い切り顔を顰めた。
 不快そうと言うよりは、どこか痛そうな顔に見える。
「偉大なるソーレナ……殺された魔女だよ。〈報復の狂宴〉の原因になった」
「ああ……」
「彼女はこの国一番の魔女だった。一番長生きで、一番優しくて、本当に偉大な魔女だったんだ……! ソーレナに治せない病気なんてなかったし、ウェニアスの高名な魔女達は、みんなソーレナから教えを受けてる。たくさんの人間を助けてきたんだ!」
 なるほど、この国の魔女の親玉格か。俺が内心で納得すると、
「――〝詠月(よみつき)の魔女〟という」
 そう、ゼロが補足した。
「詠月の……魔女……?」
「魔女はその在り方によって様々な系統に分かれているのだ。まあ、魔術への関わり方の違いだな。同じ鉄を扱うのでも、細工師であったり鍛冶屋であったりするだろう」
「ああ、まあ……そうだな」
 同じ傭兵でも、使う武器や選ぶ戦場の傾向が違うのと同じだろう。魔女や魔術と一口に言っても、その内部で細かく系統が分かれていても何もおかしな話ではない。
「詠月の魔女は人間と接し、その願いを聞く事を常とする系統だ。だからこそ、魔術の応用や転用という発想力に優れており、詠月の系統から多くの素晴らしい技術が生まれた。悪夢を祓う香に、雨乞いの力を封じた石。ウェニアスは詠月の系統が生まれた地であり、この地には多くの高名な魔女がいる。その代表者たる、偉大なるソーレナ――一度お目にかかりたかった」
 うん、と。アルバスは頷いた。
「ソーレナは善良な魔女だった。一年前、ソーレナは疫病に侵された村を救おうとして魔術を使ったんだ。それなのにソーレナが疫病を流行らせてるって言われて――殺されて! そんなのって酷いじゃないか!」
「口だけならどうとでも言える。実際、ソーレナが疫病を流行らせたかもしれねぇだろう」
 言った瞬間、アルバスの目に殺気が宿った。
「よくもそんな侮辱を――!」
「落ち着けわっぱ。傭兵が悪いのではない。これは世界の見解だ。世界は魔女を恐れている。それで怒って相手を殺しては、恐怖を助長し魔女の悪を肯定する事になる」
「だけど――!」
 反論しかけて、アルバスは唇を引き結んだ。俺を説得するのは無理だと悟ったのだろう。
 あいにく、根っからの魔女嫌いだ。そう簡単に魔女を肯定する気にはならない。
 だが、戦争の図式は見えた。人間達がこの土地の魔女の代表者であるソーレナを殺し、その結果、今まで魔女狩りに耐えてきた魔女達の怒りが爆発した。そして起こった〈報復の狂宴〉で魔女への恐怖心が助長され、国を挙げての魔女狩りに発展――それに〈ゼロの魔術師団〉が抵抗し、戦争状態に突入したというわけだ。
「〝あの方〟は、魔女の真の平和のために戦ってる……この国から魔女狩りをなくそうとしてるんだ! ――だから、ソーレナの孫娘も〈ゼロの魔術師団〉に入った」
「……魔女に孫がいるのか?」
 あたりまえだろ、とアルバスは俺に蔑みの目を向ける。どうも、完全に嫌われたようだ。
「魔女だって人間なんだから、そりゃ子供や孫ができる事もあるよ。で、〝あの方〟がお姿を見せないから、ソーレナの直系である彼女が代行者として〈ゼロの魔術師団〉を統率してるわけ。彼女も〝あの方〟に会えるわけじゃないらしいし、何か命令するわけでもないんだけど、目に見える長がいるって事が大事なんだ」
 なるほど――傀儡か。殺されたソーレナの孫娘ともなれば、〈ゼロの魔術師団〉とやらが団結するための大義名分として十分に機能するだろう。
「彼女はすごい美人でね! 賢くて、勇気があって、ソーレナにそっくりなんだ!」
 不機嫌顔から一転して、アルバスは目を輝かせながら、自分が奉じる〝復讐の象徴〟の美点を延々と列挙し始めた。完全に心酔しているらしく、憧れと恋心が混じり合ったような、背筋がかゆくなるような表情を浮かべている。――こいつ、〝あの方〟への忠誠じゃなくて、女への下心で戦ってるくちじゃねえのか……?
「魔法もすぐに覚えたし、すらっとしてて背が高くて……あとおっぱいが超でかい!」
 なるほど。是非一度お目にかかりたい。突然そんな気分になってきた。別に理由はない。
「ソーレナの死でみんな気付いたんだ。魔女と普通の人間が本当に共存するためには、一度ちゃんと戦わないとだめなんだって。魔女も人間で、殺されるのは嫌なんだって言わなきゃだめだって。でなきゃ魔女はこの先ずっと、意味もなく狩られ続ける事になるって」
「まあ、だろうな」
 ウェニアスでは一年前――〈報復の狂宴〉が起こるまでは魔女狩りが極端に少なく、消極的ながらも魔女との共存が続いていたと聞いている。だが、消極的は消極的だ。いくら魔女を頼っていても、魔女に深く関わってはいけないというのは世界の暗黙の了解で、何か問題が起こればその責任を魔女に押し付ける。
 つまり、魔女を人間扱いしていないのだ。悪い事が起こったら魔女に押し付けて、魔女を殺してしまえば解決すると、多くの人間が思っている。――それも、無意識に、だ。
 そんな共存、魔女からしたら不満じゃないわけないだろう。
 そして十年前、ウェニアスの魔女達は【ゼロの書】によって魔法という力を得た。魔法が五年で習得できるのなら、十年あれば一つの国に広まるには十分だ。
 戦いの火種があり、戦う力がある。そんな状況で一度戦いの構図ができてしまえば、消極的な共存なんて平和な状態には戻れない。
「だから僕も、魔女の平和のために戦うって決めたんだ。どうせもう国との戦争は始まっちゃったんだから、黙ってたらみんな殺されちゃう。けど、僕はまだまだ弱いから……」
「それで、獣の戦士の首を狙ったか」
 ゼロの呟きに、アルバスは照れくさそうに笑った。
 そこ、照れるところじゃねぇぞ。俺の命がかかった結構血生臭い話だぞ。
「うん。獣堕ちの首は最高の贄になるでしょ? 獣堕ちの首を贄にすれば、高位の魔法でも発動しやすいはずだから。ゼロなんか、さっき三本の〈鳥追(スタィム)〉を詠唱無しで出してたよね。それに、僕の魔法を無効化できるなんて想像もしなかった」
 すごいなあ、と。アルバスはゼロに羨望の眼差しを送って溜息をついた。
 強さに憧れるガキらしい、夢見るような表情だ。
「僕も魔法との相性は悪くないんだ。使えるようになるのも早かったし。けど、魔力が低くてさ……高位の魔法は【ゼロの書】の通りにやっても全然発動してくれなくて……」
「間違った事書いてんじゃねえのか? その本」
 嫌味のつもりだったが、ゼロは気分を害した風もない。
「それでいいのだ。あの本にはある種の仕掛けが施してある。いわゆる安全装置だな。魔力の低い未熟な魔女には、高位の魔法は扱えないようにできている」
「その、魔力ってのは?」
「まあ、言うなれば筋力だな。強ければ多少無理がきくし、不慣れでも魔法は発動する。それゆえ分不相応な魔法を質の高い贄の力で発動させ、暴走させてしまう事もある」
「俺の首でか」
「そう。君の首でだ。――我輩の〈却下〉も、そういう状況を見越してつけた安全装置の一つだ。高位の悪魔に働きかけて、下位の悪魔の魔法を打ち消す」
 俺が納得して頷くと、アルバスが目を輝かせて俺ににじり寄ってきた。
「つまりね、僕はまだ力が弱いけど、獣堕ちの首っていう凄い贄があったら、いざというときに高位の魔法が使えるんだ。そしたら魔女狩りの奴らが来たって、僕がみんなを守ってあげられる。だからお願い! その首頂戴!」
「巫山戯んな殺すぞクソガキ」
 殴った。拳で。ぎゃん、と高い悲鳴を上げて、アルバスは涙目で頭を抱えた。
「大体てめぇ、十五そこそこのガキじゃねぇか。守るのなんのと言う以前に、家族に守られてる立場だろうがよ。親が心配してるんじゃねえのか?」
「そんなの君に関係ないだろ。戦う必要があると思ったら、子供だろうと戦うんだよ」
「あ、そう。そいつぁ豪儀なこって。そんで……? どうするつもりだ? 魔女さんよ」
 本を取り返すんだろう? と言外に俺は聞く。
 だがゼロが言ったように、事態は少々複雑そうだった。
「――わっぱ。【ゼロの書】は今どこにある?」
「それは……もちろん、学舎だけど……」
「学舎?」
 俺が聞くと、アルバスは「隠れ家」とそっけなく言い直した。ゼロの言う〝穴ぐら〟と同じような意味らしい。
「案内を頼めるか。我輩、本に少しばかり用がある」
「もちろん!」
 アルバスは笑った。
「〈ゼロの魔術師団〉は、悪意を持たずに来る者を拒まないからね」