翌朝、すっかり雨の上がった空は快晴だった。アルバスは昨日と同じく俺達に先行して道を歩いていたが、昨日とは違って、頻繁に立ち止まっては早く早くと俺達を急かしている。
「早くー! 門が閉まっちゃうよぉ!」
 道の先で、アルバスが焦れたように拳を振り回して叫んだ。
 市壁に守られている町には、当然ながら門がある。そして門は日暮れと共に閉ざされ、閉まれば翌朝まで開かない。とはいえ日はまだ中天にあり、あと少し歩けば町に着く。急ぐ事もないだろうと思うのだが、まあ早く着けばその分宿を見つけるのも楽だろう。
「急がねぇのか?」
 あくまでだらだらと歩くゼロに聞くと、ゼロは気だるそうにあくびをした。
「我輩、汗をかくのは大嫌いだ」
「ああ、そう……じゃ、こうだな」
「何? あ、おい――こら!」
 俺はゼロの体を抱え上げ、アルバスをも追い越して駆け出した。
 ああ、とアルバスが高い声を上げ、ずるい、ずるいと喚きながら追いかけてくる。
 そうして、俺達はフォーミカムに到着する。
 
「一列に並べ! 一列だ! 商人は特許状を、傭兵は紹介状を用意しろ、それ以外は通行許可証を用意しろ! ぐずぐずするな!」
 一昼夜の砲撃にも耐えられそうな隔壁に、辛うじて馬車が通れる程度に開かれた両開きの門。門の正面には、通行証を持たない者は何人たりとも通さないと言わんばかりの門番が四人。その内の一人が大声を張り上げて入門を望む列を整理し、残りの一人――制服の色が違うところを見ると上級職だろう――が抜け目なく通行許可証を確認していた。
「通ってよし! 次!」
 その声で、不安げに確認を待っていた商人が安堵の表情を浮かべ、馬車を引いて門の中に消えていく。そんな列の中程に、俺達は並んでいた。そして俺は心底憂鬱だった。
 各国の主要都市に入るには、基本的に通行許可証と呼ばれるものが必要だ。例えば村人がふらっと旅に出たくなったら、まず村長に頼んで紹介状を書いてもらう。それを持って町の役所をたずね、出身地と名前と職業を伝えて通行許可証を発行してもらうのだ。
 商人の場合は商人ギルドに加入し、毎年金を払って特許状を更新する必要があるし、傭兵ならば戦争に参加して生き残れば基本的に紹介状が手に入る。
 しかし当然、魔女であり、魔術師であるゼロとアルバスは通行許可証など持っていない。とすると、必然的に俺の連れとして二人を申請する事になるのだが――。
 この、ぼろ切れを着た絶世の美女と、おまけのガキを、どう説明したらいいものやら。
「僕、一回フォーミカムって入ってみたかったんだよね。すごい楽しみ!」
「黙れ。はしゃぐな。殺すぞクソガキ」
「ゼロォ! よーへいが睨むよぉ!」
「弱者をいびるものではないぞ、傭兵。わっぱは君と一緒に来られて幸運だったと言っているのだ。素直に喜べ」
「言ってないよ!」
「喜べねぇよ!」
 思わず声を荒げると、列の前後から胡散臭そうに睨まれた。獣堕ちってだけでも目立つというのに、悪目立ちもいいとこだ。俺は盛大に溜息をついた。
 そして溜息をついている間にも列は進み、列が進めば嫌でも門番との問答は始まる。俺は先日国境の衛兵に発行してもらった、傭兵としての紹介状を門番に差し出した。
「魔女狩りの兵を集めてるってんで、その志願のため王都に向かう途中だ」
 俺はここに来るまでに何度も繰り返してきた言葉を、若干引きつりぎみに口にした。嘘ではない。少なくとも二日前までは嘘ではなかったんだが、さすがに魔女と魔術師を従えてこのセリフを吐くのは抵抗がある。
 門番は案の定、フードを目深に被った〝いかにも魔女でございます〟といった風体のゼロと、旅人というには華奢で子供過ぎるアルバスを油断なく睨んだ。
「その二人は連れか? 関係は?」
 やはり、そう来るか。一応、言い訳がないわけではないが……。
「そりゃ――」
「肉奴隷だ」
 さらりとゼロが口にした言葉に、俺は全身の毛という毛が抜けかけた。
 ちょっと待て、今この女なんて――。
「そ、そうです! 僕達、ご主人様のお世話をさせていただいています、いやしい奴隷でございます。もちろん。夜のお世話も……」
 おい待てアルバス。てめぇは男だろうが。どの面下げて頬を染めやがる。普通にかわいいから始末に悪いぞ。俺が完全に変態じゃねぇか。
「な……なるほど……そうか。なるほど……」
 そして門番、てめぇはもう少し疑え。疑ってかかれ。断じて違うぞ。断じて違うのに何だ、この違うと言えない雰囲気は。これだから、獣堕ちは堕落の象徴などと言われるんだ。門番の畏怖とも嫌悪とも羨望ともつかない視線が、俺と俺の肉奴隷二人に注がれる。
「よし……奴隷二人に荷はなしだな。奴隷一人につき税がかかるが、通門料は一人分でかまわん。先日も、近くの小さな町が魔女に襲われた。魔女を狩る戦士は大歓迎だ。滞在は?」
「あー……三日……くらい……かな……」
 俺はどうにか声を絞り出した。一晩しかいる気はないが、万が一の事を考えて二日ほど余分に申請しておくのが基本だ。
「プラスタに行くのなら、紹介状に入門確認の判をもらってくれ。町を出る時に滞在許可証を返却するように――通ってよし!」
 こうして、俺達は晴れて町への滞在を許された。
 結果良ければ全てよし。――とは言えだ。門をくぐってしばらく歩き、十分に門から離れたのを確認してから、俺はゼロとアルバスの二人を同時に殴りつけた。
 
「機転を利かせて殴られるなど心外極まるな」
 目の回るような雑踏を興味深げに見回しながら、ゼロは俺に殴られた頭をさすりさすりぶつぶつと文句を言った。
「古来より古今東西で戦士は奴隷を従えているものだろう。関係を怪しまれればとりあえず奴隷と言っておくものだと、あらゆる書物が言っている。実際に助かったではないか」
 アルバスもそれに同意し、ぶうぶうと唇を尖らせる。
「そーだよ。だって獣堕ちがみすぼらしい格好の女と僕みたいな見た目の男を連れてたら、ああ説明するのが一番それっぽいだろ?」
「うるせぇ! おかげで俺は哀れな奴隷二人を毎晩いいようにもてあそぶ変態野郎扱いだ。おまけに一人は男でガキだ。堕落だ……堕落の象徴だ……」
「別にいいじゃん、門番にどう思われたって滞在許可さえもらえれば……じゃあよーへいはなんて説明する気だったのさ」
「いや、そりゃ……なんか、適当に」
 実際のところ、俺も奴隷だと答えようとはしていたのだが、殴った手前言いにくい。
 適当にねえ、とアルバスは嫌味ったらしい声を出す。
「どんな言い訳を考えるにせよ、ゼロの服がまず過ぎるんだよ。今だってほら、みんなゼロの事見てる。今時奴隷だってもっとましな服着てるのに……」
 アルバスはゼロの服を頭の天辺からつま先までまじまじと眺めた。
そこで俺は初めて気付いた。ゼロは靴すらはいていないのだ。古びたローブは、すすけて破けてボロボロだ。ゼロ一人ならば金のない旅人で誤魔化せるかもしれないが、俺は鋲を打った革鎧を着て、剣、ナイフ、爆薬などでがっちり装備を固めた戦士であり、アルバスは小奇麗な商家の小間使いのようにも見える。その三人が一緒にいては、ゼロを奴隷と説明するのが一番簡単で確実だったのは間違いない。
 アルバスまで一緒になって奴隷のふりをする必要は、これっぱかしもなかったように思うが――。まあ、無事に町に入れたのだからくよくよ考えるのはやめにしよう。
「傭兵、傭兵。あれは何だ?」
 俺とアルバスの思案をまるで無視してゼロが興味深げに指差したものは、なんという事もない、仲睦まじ過ぎる恋人同士だ。
 露天の前で顔を寄せ合い、首飾りなんぞを手に取りながらどれが似合うかと楽しげに言い合っている。――もちろん、合間合間にキスを織り交ぜながら。
「うらやま……」
 じぇねぇや。俺は慌てて言い直す。
「周りの目が気にならないほどお互いに没頭してる、おめでたい恋人同士だろ」
 自分で言っておいてなんだが、ひがみが酷い。だがひがまずにいられるほど聖人でもなく、枯れてもいない。諦めは、まあ、さすがについたが……。それでもゼロが俺を人間に戻せるのなら、希望はこの先ない事もなさそうだ。
「なぜ唇と唇を重ねる。儀式か?」
「……お前、キスを知らねぇのか?」
「キス?」
 ゼロはいかにも意外な事を聞いたというように恋人達を見て、もう一度俺を見た。
「キスというのは悪魔の一物に唇を押し付ける行為の――」
 俺はゼロの口を押さえつけた。公衆の面前では聞くに耐えない、おぞましい言葉を聞いた気がする。もがもがと暴れるゼロの様子を見る限り、性質の悪い冗談ではないらしい。
「坊主。まさかお前もか……?」
 何が、とは聞かない。アルバスはぶんぶんと首を左右に振った。
「そそ、そこまで世間知らずじゃないよ!」
「そうか、ならいい。おい魔女、いいか? キスってのは本来お互いの愛情を示すためのもんであって、決して悪魔のナニがどうのっていう不気味で吐き気のするような行為の話じゃねぇぞ。何がどうしてそうなった」
「同門たちと本の海に引きこもり、研究にだけ心血を注げば世俗には疎くなる」
 にしては、肉奴隷どうのと余計な機転が利いてたような気もするが……。
「あれは我輩が天才だからだ」
「堂々と人の心を読むんじゃねぇよ」
「読んだのは心ではなく、表情だ」
「ああ、そう……」
「我輩は穴ぐらで生まれ、穴ぐらで育った。出たのはここ最近だ」
 俺は一瞬冗談かと思い、アルバスを見た。するとアルバスは困ったように首を傾げ、そんな表情のまま一度頷く。ありえるよ、と。その表情が言っていた。なるほど、冗談ではないらしい。とすると、そいつぁ冗談じゃねぇ話だ。
 俺はどう反応したらいいかわからず、顔を顰めてゼロを見た。しかし当のゼロには悲壮感のかけらもない。それどころか、何か思い付いたように俺を見上げてきた。ついと上げたフードの下で、ゼロの好奇心に満ちた瞳が輝いている。
「傭兵もした事があるのか?」
「あ? 何?」
「キスを」
 ねぇよ。心の中で短く吼えた。つもりが、
「ねぇよ!」
 声にも出ていた。しかも心の中で吼えたより幾分強い。
 するとゼロは笑って満足そうに頷いた。
「ならばあいこだ。わっぱもないだろう?」
「ぼ、僕? な、ないないない! し、したい相手だって……まだいないし……」
 意外だ。そしてほっとした。大丈夫だ。俺はこいつに男として負けてない。
「キスで愛を交わすか……なるほど、おもしろい。試したいな」
 俺もだっての。
「我輩と試すか? 傭兵」
「はぁ!?」
 思わず、ゼロの唇を見た。完璧な形をしたその唇は、赤く熟れた林檎を磨いて艶を出したように光って見える。
 これに俺の口が触ったら、間違いなく冒涜だろう。――いや、そもそも、だ。
「あ……愛を交わす行為だって説明したぞ、俺ぁ」
「だから試そうと言ってるんじゃないか。我輩は傭兵が好きだからな」
「へー……ふーん。そー」
「信じないにしても、もう少しマシな態度を取れと前にも言っただろう……我輩は絶世の美女だぞ? 君だって我輩の唇に触れたいだろう」
「その台詞できれーに萎えた。それにあいにく魔女は嫌いでな。美女だろうと落第だ」
「つれない男だな、君は……仕方ない。傭兵が嫌ならば、わっぱと試すしか……」
 すっとゼロの目がアルバスに向く。アルバスは途端に顔を真っ赤にし、ダメダメ無理無理と叫んで俺の背中に隠れた。
「ガキをからかうんじゃねえよ。そんな事よりお前、着替えはねぇのか」
「……あるように見えるか?」
 ゼロは両腕を開いてみせた。聞く前から分かってはいたが、腰から提げた小さな鞄以外には、荷物と呼べるようなものは見当たらない。
「どうやって今まで旅してきたんだ、お前は……」
「川があれば服と体を洗い、腹が減れば鳥を撃ち、果物があればもいで食う。人家があれば離れて通り、雨が降れば洞窟に身を潜める。廃村で鍋を拾ってからは煮炊きもできるようになったぞ。これでも我輩は、ちゃんと一人で旅をしてきたのだ」
 凄いだろう、とゼロが自慢げに笑い、俺は頭を抱えた。
 「ともかく……その見てくれじゃ宿も取れやしねぇ。俺みたいなのを泊めるような宿屋でも、馬小屋しか貸しちゃくれねぇだろう」
「我輩は野宿でかまわないぞ。傭兵の毛皮に埋れて寝ればいいのだしな」
「今はよくてもこの先困る。人目を引き過ぎるんだよ。目立つってなそれだけで罪だ」
 大げさな話ではない。目立つという理由それだけで、罪を着せられて殺される無実の罪人が世の中にはごまんといる。
 まともな服をそろえる必要がありそうだった。さしあたっての問題は――だ。
「おい魔女、お前金はあるのか」
 持っているように見えるか? と、先ほどと同じ答えが返ってくる事を俺は予想していた。しかしゼロはふむ、と頷き、俺に両手を広げるようにと身振りで示す。
 言われるままにそうすると、ゼロは腰の鞄を探って何かをごそりと引きずり出した。
 それを、俺の手の平にじゃらりと広げる。――その、宝石の数。
「な……な――!」
「穴ぐらからいくらか持ってきたのだ。貴石の類はどの国どの時代でもそれなりの価値を持つだろう。役に立つ事もあろうかと思ってな。これで代わりになるか?」
 開いた口が塞がらないとはこの事だった。俺は両手一杯に山のような宝石を持ったまま、全身の毛を逆立ててぴくりとも動く事ができなかった。
 アルバスも俺の手の平を覗き込み、同じように目を丸くしている。
「馬鹿野郎! 街中でこんなもんひけらかしてんじゃねぇ!」
 はっとして、俺は宝石全てを魔女の鞄の中に突っ込んだ。おわ、と間の抜けた声を上げ、ゼロがいかにも不思議そうに俺を見る。
「持っているかと聞くから見せたのに、なぜ怒るんだ」
「見せる量と場所を考えろつってんだ。金はあるかと聞かれたら、今の宝石のうちの一つを見せりゃ十分過ぎる。一番小さいのを一つでいい」
 これか? とゼロがごく小さな宝石を一つつまみ出した。それでさえ恐ろしく透明で、貧乏人の人生を狂わせる一品だ。ゼロに金がなければ俺が出す事も考えたが、たった今をもって俺とゼロの経済状態は逆転した。むしろ超えられない壁が立ちはだかっている。傭兵としては雇い主が金持ちなのはあり難い限りだが、男としては負けた気分だ。
 だがそんな気持ちをどうにか隠して、ことさら平然と「いいだろう」なんて頷いている自分がなんとなく間抜けに感じる。
「そいつを適当に換金して、服を買いに行くぞ。両替商がどっかにいるだろうが……」
 ゼロは小粒の宝石を俺の手の平に転がし、ふと俺を見上げてにやと笑った。
「やはり、君はいい男だな」
「……はぁ?」
 唐突だな、おい。俺が首を前に落して聞き返すと、ゼロはぽんぽんと腰の鞄を叩いた。
「いくらでも理由をつけて、我輩からこれを取り上げられただろう。我輩は俗世に疎い」
「あほか。悪魔と渡り合う魔女相手にそんな勇気ねぇっての」
「では我輩が魔女でなければ取り上げたのか?」
「ったりめーだろ。俺ぁ金に汚い傭兵だぞ」
「いやー。ないでしょ。ないない。宝石持った時のびびり方と慌て方ったらなかったもん」
 アルバスがケタケタと笑いながら横槍を入れてきたので、とりあえず殴っておく。
「いったいなぁー! なんだよ事実だろ。でっかい図体してこのしょーしん者!」
「もう一発いくか? あ? もう一発欲しいか?」
 やだぁ、と女のような声を上げ、アルバスがゼロの後ろにさっと隠れる。
 くっくと、ゼロが肩を揺らした。そして、
「ああ――空が青いな」
 突然、妙な事を言う。釣られて俺も空を見上げると、確かに雲一つない快晴だった。