あらかた鳥を食い尽くした後、俺達は森に挟まれた小道を抜けて、砂岩で舗装された街道を歩いていた。目指すは【ゼロの書】があるという魔女の隠れ家――学舎だ。
 アルバスが言うには、森を突っ切って歩けば二日で着く距離にあるらしいが、まずはその中継点にある町、フォーミカムを目指す事にした。
アルバスはフォーミカムを迂回して学舎に向かう気だったらしいが、俺の方でフォーミカムに寄る必要があるのだ。
 フォーミカムは王都プラスタへ向かう旅人が必ず立ち寄る町だ。堅牢な市壁に守られており、プラスタでは「フォーミカムに入ったかどうか」を確認されると国境で兵士が教えてくれた。
つまりフォーミカムで入門証明を受けずにプラスタに向かった場合、何らかの理由で主要都市に入る事を避けた怪しい人間という扱いになってしまう。
 当座の目的地はアルバスの学舎だが、最終的にはプラスタで十三番を探す予定なのだから、そうなると不都合だ。魔女を連れているという後ろぐらい部分があるだけに、正道を通ってなるべく問題を減らしておきたかった。
 俺とゼロはだらだらと並んで歩き、アルバスは一人でかなり先を歩いている。
時々立ち止まっては草を摘んだり、カエルを捕まえて鞄に押し込んだりする姿は実に子供らしかったが、「魔法の贄を集めているのだろう」というゼロの解説で印象は一転した。あれは子供に見えても信用ならない魔術師だ。そんな魔術師に、魔女の本拠地へと案内させている。
まったく、気の滅入る話だった。ゼロは〈ゼロの魔術師団〉に紛れて【ゼロの書】を取り返すつもりなのだろうが、果たして上手くいくのか。上手くいったとして、俺の首は無事なのか?
 そんな考えが、表情に出ていたのかもしれない。
「そう浮かない顔をするな。魔女は他人の所有物に手を出したりはしない。我輩の下僕という事にしておけば、誰も君の首を狙ったりはしないはずだ」
「だといいけどよ……魔女の大群に首を狙われるなんてごめんだぜ」
「そうなったとしても、案ずる事はない。我輩が守ってやる」
「そりゃ頼もしいこった」
「嘘だと思うか?」
「本当だとして、信じると思うか?」
 ゼロは一瞬考えるように黙って、思わない、と楽しげに笑った。
「百年の孤独と百の裏切り――それだけが、真実強い戦士を作る。誰かを信じて背中を預ければ、それは甘えとなり油断を生み、死を招く。だから信じろとは言わないさ。我輩は我輩の勝手で君を守る。我輩には君が必要だ」
「そりゃ……頼もしいこったな」
 思わず、正直な感想がこぼれた。正面に視線を戻し、がりがりと首の後ろをかく。
 ――どうも、調子が狂う。守るだとか、必要だとか、言われた事のない言葉ばかりだ。
 視線の先では、アルバスが焦れたように立ち止まり、俺達が追いつくのを待っていた。しかしゼロの歩調はあくまでゆっくりとしている。
「……そっちこそ、大丈夫なのか?」
 俺が聞くと、ゼロは不思議そうに首を反らし、質問の意味を問うように俺の顔を見た。
「いくらお前さんが強い魔女だつっても、向こうは【ゼロの書】で魔法を学んだ魔女の集団なんだろうが。返り討ちにあったりとかよ」
「ほう……我輩が心配か」
「その理由を説明して欲しいか?」
「我輩が好きなのだろう」
「ちげぇよ!」
 怒鳴ると、ゼロはからからと笑う。
「我輩が死んで契約を果たせなくなる事を危惧しているなら、心配は無用だ。万に一つも、我輩が負ける事はない。たとえ分が悪いとなっても、一旦引くくらいの思慮もある。我輩一人では無理でも、十三番がいれば有象無象の魔女もどきなど取るに足りない存在だ」
 十三番ねえ、と。俺は呟く。ゼロの同門だとか言っていたが、随分信頼しているらしい。
 いや――。信頼どころの話じゃないだろう。どう考えても、二人の間には絆がある。それがどんな種類の絆かは知らないが――。そこまで考えて、俺は慌てて首を振った。
 ゼロと十三番の間に絆があるから、どうだってんだ。どうでもいいだろうそんな事。
 何か別の、もっと有意義な事を考えるべきだ。そう、例えば――。
「あのよ。魔術を使う男がいるなら、なんで魔女って言うんだ?」
 うわあ……下らねぇ質問してんな、俺。
 しかし俺の下らない質問に、ゼロは疑問を感じた風もなく答えてくれる。
「それは順序が逆だ。魔術を使う女を、本来は魔女と呼んで区別したのだ。つまり、過去には魔女の方が少なかった」
「へえ……そいつぁ初耳だ」
「魔術とはな、傭兵。つまるところは学問だ。そして学問というものは、いつだって男が作り出す。だが男が作り出したからといって、男の方が秀でているとは限らないだろう?」
「そりゃまあ、そうだろうな」
「魔術もそういうものだったのだ。しかし当然、男はそれが気にいらない。魔術師達は秀でた女魔術師を、魔女と呼んで蔑んだ。追い立てられた魔女達は世界へ散り、魔術は世界へと伝わった。つまり世界の多くは、女の魔術師から魔術を学んだ事になる。そして魔術師の代名詞が魔女となったのだ――と、聞いている。そういう経緯で今でこそ魔女の方が多いが、当然男の魔術師も存在する。そしてそういう存在は、時に苦々しいほどに恐ろしい力を発揮するのだ」
「……十三番か?」
 ああ、とゼロは頷いた。その声が妙に眠たげで、妙に甘い。
 なるほど、男女ね。俺は溜息をついた。
「どうした? 傭兵。まさか妬いたか?」
「自惚れんな。のろけ話に吐き気がしてるだけだっての」
 俺が舌を出して鼻の頭に皺を寄せると、ゼロは楽しげにくすくすと肩を揺らした。
「のろけに聞こえるのならば、それは嫉妬だろう。我輩は、我輩の協力者たりえる男の話をしているだけだ」
「お前の協力者が、そのまま俺の協力者とも限らねぇのが傭兵の世界なんでな」
「であればこそ、どんな人物か気になるのが普通だろう。十三番は有能な魔術師だ。陰険で陰湿で、いかにも悪の魔術師でございという男でな」
「お前も十分悪の魔女でございって感じだぞ」
「我輩の比ではない。会えば分かるが、正直我輩でも軽く引く」
「そいつ本当に信用できんのかよ……」
「できるとは言えないだろうな。有能な魔術師ではあるが、あれは純粋な実利主義と利己主義の塊だ――悪魔的なほどにな」
 そう言うわりに、ゼロが十三番とやらを語る声はやはり奇妙な親しみがこもっている。
「じゃあ参考までに聞かせてもらうがよ。同門ってのは、つまりどういうことなんだ? 一緒に暮らしてたって事か? 穴ぐらとやらでよ」
「そうだ。魔術の研究とはな、傭兵。基本的に非常に面倒なのだ。得た知識を共有した方が互いに研究が進むので、集団で隠れ暮らす魔女も多い。我輩達もそうだった。十三番と我輩は常に対の存在であり、共に議論し、研究し、時には戦う事もあった」
 ――結局のろけじゃねぇか。話を十三番から逸らしたくて、俺は質問を続ける。
「魔術の研究ってのは、結局のところ何するんだ?」
「悪魔を召喚する方法を知るために、書物をひもとき、学び、研究史、実験を繰り返す」
「学者かよ……」
「そう、魔女とは学者で、魔術とは学問だ。そして学問というものは、習得には時間がかかる。ようやく習得した魔術を使うのも大仕事だ。魔術の中には、一年にも及ぶ儀式が必要なものもあるほどだ。だから魔女は繁栄しないし、だから魔術は広まらない。そして――だから五百年前の戦争で、魔女は教会との戦いに敗れた」
「だが、今は魔法があるだろう。――今なら勝てるんじゃねえのか? 教会に」
 うん? と、ゼロは聞き返す。
「ああ――そうかもしれないな……そんな面倒な事、考えた事もなかったが……」
 その時、背後から馬車の車輪が石畳を叩く音が聞こえて、俺はゼロを促して街道の端にずれた。荷物を満載した馬車が俺達の横を通り過ぎ――唐突に速度を落とす。俺達が徒歩で追いつけるほどの速度だ。そして追いついてみると、御者台にいる中年の商人が愛想よく俺に笑いかけてきた。――俺の人生で初めての経験だ。
「ああ、やっぱり。お兄さん、獣堕ちだね。魔女狩りの手伝いに来てくれたんだろう? ありがたいねぇ。今ではどこを歩くにも、魔女が襲ってきやしないかとビクビクしてる有様だ」
 昔はな、と商人は続ける。
「魔女とも仲良くやってたんだよ。俺が産まれたときもな、じいさんがソーレナの所に薬をもらいに行ったらしいんだ。酷い熱を出したって言ってなあ。実在する御伽噺みたいな存在さ」
「――そいつを火あぶりにしたんだろ? 疫病を流行らせたから」
 聞くと、商人は顔を顰める。気が付くと、アルバスも近くに寄ってきていた。少しだけ距離を取っているが、会話は聞こえる位置にいる。
「そう……疫病だ。何年か前から、魔女達があちこちで悪さを始めるようになってな。ウェニアス全体が魔女に怯えてた。だが、ソーレナだけは違う、俺達の味方だと思ってたところに一年前の疫病流騒ぎだ。それで、もうどの魔女も信じられなくなっちまったのさ」
 ふと、思うところがあった。アルバスの言葉を信じるなら、ソーレナはむしろ、村を疫病から村を守るために魔術を使った事になる。もし、それが真実ならば――。
「なあ……ソーレナが疫病を治すために魔術を使った可能性はねえのか?」
 商人は大きく目を見開いた。それから眉間の皺を深くして、ゆるゆると頭を振る。
「あるさ。あったが――もう、ない」
「どういう意味だ?」
「喧嘩になったら、俺は悪くねぇって誰だって思うだろ? 〈報復の狂宴〉が起こる前は、ソーレナを焼き殺した奴らを責める声も多かった。ソーレナが疫病なんざ流行らせるわけがないってな。だが、村を焼き払われたら全員が魔女狩り派に転向したよ――俺もな」
 商人は疲れきったような顔をして御者台にある荷を漁り、ぽんと俺に果実を放った。
 熟れ過ぎで売り物にならないから、という言葉通り所々茶色くなっており、むせ返るほどの甘い香りを立ち上らせている。
「けど、いい加減、みんな疲れてる。終わらせたいが、負けたくない。だから、期待してるよ」
 言い残して、商人は再び馬車の速度を上げる。その後ろ姿はあっと言う間に見えなくなったが、アルバスはいつまでもその後ろ姿を見送っていた。
 
 雨が降ったので、廃屋で夜明かしをする事にした。街道から伸びるわき道の先にちらと建物が見えたので、厩を借りるつもりで寄ったら空き家だったのだ。
 かまどを借りて火を起こし、麦を塩水で煮た簡単な食事を作り始めた。かまどに火を入れる作業には普通そこそこ時間がかかるのだが、ゼロが魔法で火をつけてくれたので恐ろしく簡単にできた。魔法ってのは便利なもんだ。
「それ、俺にも使えねぇのか? 〈掌火(レクス)〉だっけか?」
「無理だろうな。さっき呪文を復唱しても、何も起こらなかっただろう」
 君に狩猟の章の才能はないと断言されて、軽く落ち込む。火打石がなくても火がつくなら、大嫌いな魔女の使う恐ろしげな魔法にも、少しくらい興味が持てたんだが――。
「結局、魔法の才能ってのは何で決まるんだ?」
「業の深さだろうな。想いの強さや、その想いの向かう方向――そういったものだ。本は四章で構成されていると説明したが、章によっても得手、不得手が強く出るのだ。例えば、十三番は守護の章の魔法が一切制御できなかったかわりに、捕縛の章が気味が悪いほど巧みだった」
「その心は?」
「物事に執着する性格なのだろう。捕らえたら決して放さない」
「おい、本当に大丈夫なのかそいつ。本当に頼っていいのか?」
 さすがに不安を隠せない。「どうだろうな」と軽く言って、ゼロはけらけらと笑った。
「他の章の魔法を試してみるか? 狩猟はだめでも、捕縛あたりも役に立つぞ。獲物を生け捕りにするなら一番だ。魚もたくさん捕れる」
「やめとく。全部の章で才能がないって分かったら、それはそれで傷つきそうだ」
「才能がなくとも、十年くらい続ければ初歩の魔法程度なら使えるようになるかもしれない。我輩が修行をつけてやってもいいぞ。そうしたら、ずっと君といる理由もできる」
 危うく、俺は鍋をひっくり返しそうになった。この女、突然何を言い出すのか。やや引きつり気味にその顔を見下ろすと、ゼロはからかっている風でもない。
「おい……それだとまるで、俺とずっと一緒にいたいつってるように聞こえるぞ」
「何をそんなに驚く。まさに、そうだと言ったのだ。我輩、君といるのは楽しい」
 全身が毛に覆われていて助かった。でなければ、俺は無様に真っ赤になっていただろう。こんなズレた性格の魔女に言われた台詞ごときで、情けない事に顔が火照った。
「どうした? 傭兵」
「なんでもねぇよ! とにかく魔法は使わねぇ!」
 怒鳴ってゼロを部屋の隅に押しやり、俺は晩飯作りに集中した。
 
「なあ、魔女さんよ」
 食事を終えてしばし――俺は商人からもらった果実をナイフで半分に切り、口にくわえた。残りの半分を投げ渡すと、ゼロは喜んでそれにかじり付く。
 アルバスは「外の空気を吸ってくる」と言って、雨の降りしきる夜の屋外へと出て行った。
俺と同じ空間にいるのが嫌な事は見て分かる。ソーレナを侮辱した事が余程我慢できなかったと見え、アルバスは始終俺を睨んでいるし、警戒もしているようだ。
「実際のところ……どう思う。ソーレナは本当に疫病を起こしたのか?」
「魔女の我輩にそれを聞くのか?」
 ゼロはどこか楽しげに聞いた。俺は肩を竦めて答える。
「他に聞く相手もいないんでな」
「――なら君は、今後も我輩にいろいろな事を聞くのだろうな」
「黙れってんならそうするが?」
 そうじゃない、とゼロは首を横に振る。立ち上がって、すとんと俺の隣に腰を下ろした。そのまま、俺の肩を背もたれのようにして膝を抱える。
「我輩は嬉しいのだ、傭兵。こうして君と話す事が、どうしようもなく楽しい。君が聞いて、我輩が答える。そうする事で、我輩と君は互いの事を理解する。――もし君に、我輩以外に質問できる相手ができてしまったら、我輩はきっとひどく寂しい」
 俺は何も言わずに、果実を噛み砕いた。ゼロが果実をかじる音もする。
「おい……何黙ってんだ? 早く答えろよ」
「うん?」
「質問。――しただろうが、俺が」
 ああ、とゼロは笑った。
「では、答えなければ。ソーレナが疫病を起こした可能性は、極めて低い」
「なんでそう言えるよ」
「疫病を流行らせても利益などないからだ」
 首を捻って見下ろすと、ゼロは指に付いた果実の汁を舐め取っている。
「疫病の魔術は初歩的な魔術だ。駆け出しの魔女ならいざ知らず、詠月の魔女ともあろう者が、狩られる危険を冒してまでする実験ではない」
「……疫病を流行らせるのは、実験なのか?」
「誰かに依頼されたのでなければ、そうだろう。それに近隣住民と関係を保っている魔女は、食料や服を占いの対価としてもらえるので、疫病で村が潰れてしまっては純粋に損をする」
 なるほど、盗賊のいる村は逆に安全だって話があるが、魔女の場合もそうらしい。
「魔女が善良であるとは言わない。魔女は常に自分にとって一番よい結果を求めて動く。だからこそ、詠月の魔女がわざわざ疫病を起こした可能性は低いのだ」
 とすると、人間は本当に、自分達を救ってくれた魔女を勘違いで焼き殺した事になる。ただ疫病が流行したまさにその時、魔術を使った魔女だからという理由、それだけで。
 ――似たような経験が、俺にもある。ただ獣堕ちだからというだけで、やってもいない殺人やら強姦の罪を着せられて追われた事も少なくはない。
 村のためを思って行動を起こしたソーレナが、その村人達に殺されたのだとすれば、その無念と怒りは想像に難くない。そして当然魔女達は怒り狂い、村を火の海に沈めた。
 ――ならば戦争を始めたのは、人間の方か。
「魔女にもいろいろいるのだ、傭兵。人間の害になる魔女も、利益になる魔女も」
 偏見があった。魔女は全て害悪で、一人残らず殺すべきだという考えが。
 くしゅん、とドアの外でくしゃみの音がして、アルバスが寒そうに部屋に入ってきた。どこか気まずそうな表情を見る限り、立ち聞きをしていたらしい。
 だが、俺は責めなかった。いや――むしろ。
「悪かったな。侮辱してよ……」
 アルバスは驚いたように目を見開き、思い切り顔を顰めた。だが、表情が緩みそうになるのを堪えている顰め方だ。
「まあ、馬鹿が思い違いするのはよくある事だし、僕は心が広いから許してやるけどさ。次からはもっと、考えてから喋るようにする事だね!」
 一瞬殴ろうかと思ったが、謝罪の意味を込めて今回は勘弁してやる事にした。